幾つかの疑問(「市有地」に神社)

『朝日』の記事;


違憲」神社判決に悩む自治体 売却なら重い住民負担


北海道砂川市が市有地を神社に無償で提供しているのは「政教分離原則に反して違憲だ」とした最高裁大法廷判決(20日)の波紋が広がっている。全国で同様のケースが次々と判明。ただ、提供の経緯をたどると江戸時代までさかのぼるような「地域密着型」の施設もある。違憲解消のために有償に切り替えるのも容易ではなく、各地の自治体は頭を抱えている。

■無償提供、全国に多数

 問題の「震源地」となった北海道。明治から昭和初期にかけての開拓時に道内各地で神社が建てられた経緯がある。こうした中には、自治体が公有地をただで貸している例が少なくない。

 北見市では15神社に無償で提供していた。「最高裁違憲とした以上、何らかの方法で解決しなければ」と神社を管理する地元住民と近く協議する。22日には、市議会でこの方針を説明した。

 最高裁は判決の中で、違憲状態を解消するには氏子側に土地を譲渡したり有償で提供したりといった手段があり得ると言及した。ただ、自治体にしてみれば、そうは簡単にいかない事情もある。

 7神社に土地を貸す苫小牧市は「違憲判決は無視できない」としながらも「土地の売却や有償契約は住民に負担を強いることになる。地元の意向も十分聞きたい」という。

 実際、道有地に立つ札幌市の「中の島神社」では、道が町内会側と売却交渉を続けてきたが、価格面で折り合えない状態が続いている。道有林課によると、札幌や函館の道有林には11の神社やほこらがあり、年3千〜1万7千円で貸し付けているという。

 高橋はるみ知事は21日の記者会見で、中の島神社のケースについて「放置するわけにはいかない。売却が理想だが、有償貸し付けなどについて調整したい」と述べた。

 今回の訴訟で最高裁は、違憲状態の解決策を札幌高裁で検討するよう求め、審理を差し戻した。2神社に土地を貸している北広島市は「解決策を早急に決めても、差し戻し審で打ち出される内容と食い違っては後々問題になる」と気をもんでいる。
http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY201001270123.html

■たどったら江戸時代

 各地では、最高裁判決を受けた緊急の調査が行われている。静岡市は26日、その結果を発表。市有地65カ所で社(やしろ)や鳥居、地蔵堂など宗教的な建造物が見つかった。公園や道路、小学校、斎場など、その範囲は日常生活の隅々にまで広がる。今後、所有者や設置の経緯などを調べるが、時間がかかりそうだ。

 というのも、各地で見つかっている「無償提供」例の中には先祖代々続いてきたケースが少なくないからだ。

 長崎市では、キリスト教弾圧で殉教した26人をたたえる「日本二十六聖人記念館」のほか、二つの神社が市有地にあった。市は「江戸時代に住民が共同で建てたようだ。市が土地を提供したというよりも、神社が立っていた土地が市有地になった」。

 岩手県では盛岡市で7件見つかったが、2件は管理者がおらず、朽ち果てている状態。宮古市では市有地にある5神社のうち、熊野神社の歴史は1539年にまでさかのぼる。土地は市と神社の共有で、昔から、正月や祭事には市民が訪ねる。

 裁判所の土地に宗教施設があったケースもある。徳島地裁の敷地には昨年5月まで、御倉(みくら)稲荷社というほこらがあった。1876年に高知裁判所徳島支庁が開設された時にはすでにあったらしい。「国有地に神社があるのは問題」と1987年に県議会で指摘があり、20年余りを経て、市内の神社に移転された。

 神社4カ所に無償提供している山梨県都留市の担当者は「何らかの対応をせざるを得ないが、今の状態が生活に溶け込んでしまっているので、簡単には変えられない」と苦慮する。

 広島市中区には、県有地と市有地にまたがるように立つ舟入神社がある。県の担当者は「早急に取得交渉を進めたい」と話す。ただ、土地の取得には数千万円が必要になる可能性もあり、神社側は「今の状態が良くないのは分かっているが、先立つものがない」としている。

     ◇

 〈神社訴訟の最高裁判決〉 最高裁大法廷が「違憲」と判断したのは、砂川市が市内の神社に敷地を無償で提供していること。憲法政教分離規定に違反するかどうかの判断にあたって「宗教施設の性格や無償提供の経緯と態様、これに対する一般人の評価などを考慮し、社会通念に照らして総合判断すべきだ」と基準を示したうえで、砂川市のケースについて「特定の宗教に特別の便宜を供与し、援助していると評価されてもやむを得ない」と結論づけた。
http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY201001270123_01.html

先ず、この北海道砂川市に関する訴訟がどのような経緯で為されたのかをあまりよく知らないわけだが。
そのほかにも、一般的な疑問を幾つか。
先ず、土地の占有に関する時効というのは何年くらいか。「神社」などが「市有地」(或いは「国有地」など)を占有していた(いる)といえるわけだが、そもそも土地の占有に関しては、或る一定の期間以上、何らの異議も申し立てられずに占有が続行されていた場合、時効が成立して、その事実上の(de facto)占有には法=権利的な保護が与えられる筈。
それから、上の記事にある事例では、「市有地」などに江戸時代(或いはそれ以前)から「神社」等が建っているという例がある。つまり、近代的な行政制度或いは近代的な土地所有制度以前からということだ。明治以降、例えば入会地のように共同体的に所有されていた土地は、国有地(或いは〈地方自治体〉の所有)になるか、特定の自然人若しくは法人による私有に帰すかした。入会地を巡る共同体的な土地所有と近代的な土地所有制度との争いとしては、〈小繋事件〉が有名ではあるが(Cf. 戒能通孝『小繋事件』)。どのような経緯で「神社」などの用地が「市有地」(など)に帰されたのかこそが調査されなければならない。また、土地の所有権と占有権(或いは用益権)が独立して存立するという法理は可能なのかどうか。
小繋事件―三代にわたる入会権紛争 (岩波新書 青版)

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政教分離という原則だが、そもそもそこで問題となる〈宗教〉の定義が必ずしも明確ではないということがある。19世紀以来基督教とか佛教といった所謂〈宗教〉以上に地上で猛威を振るっているといえる国民=民族教(ナショナリズム)、プロレタリア教(社会主義)、資本教(資本主義)或いは自然教(エコロジー)が(少なくとも)宗教的側面を有しているということは明らかだろう*1デュルケーム(『宗教生活の原初形態』)が提起したように、一切の宗教的なものなくして社会というものの存立が可能かどうかまで、詰めて考えるべきではあろう。また、トーマス・ルックマンの『見えない宗教』は、所謂世俗化という事態を踏まえて、宗教を思考する際には制度や組織を介して客体化された「見える宗教」ではなく、「見えない宗教」の次元に遡らなければならないことを提起した。これ以降、宗教は〈宗教性(religiosity)〉という抽象名詞において思考されることが多くなる。
宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)

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宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)

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Invisible Religion

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見えない宗教―現代宗教社会学入門 (1976年)

見えない宗教―現代宗教社会学入門 (1976年)

ところで、「移転」という解決策について。神道において具体的な〈場所〉が他の宗教以上の重要性を持つということは留意しなければならない*2