偶然/現実/世界(ポール・オースター)

空腹の技法 (新潮文庫)

空腹の技法 (新潮文庫)

ポール・オースターへのLarry McCafferyとSinda Gregoryによるインタヴュー(『空腹の技法』*1)からの抜き書き;


(前略)自分としては、一番厳密な意味でのリアリストだと思っている。偶然は現実の一部だ。我々はつねに偶然の力によって形作られている。生きているかぎり、予期しない出来事が、茫然とさせられるほどの規則性で起こりつづける。それなのに、小説は想像力を駆使しすぎてはならないという考え方が広く行き渡っている。一見「ありそうもない」となると、決まって不自然だとか、人工的だとか、「非現実的」とか見なされてしまう。そう思う人々がどんな現実で暮らしてきたのかわからないけれど、私の現実とは違う。なんだか皮肉な話だが、本の読みすぎじゃないかと思う。いわゆる現実的(realistic)な小説の約束事にどっぷり浸ってきたせいで、現実感覚が歪んでいるんじゃないかな。あの手の小説では何もかもが平らに均され、独自性を奪われ、予測可能な因果律の世界に箱詰めされている。本から鼻を引き上げて、現に目の前にあるのをちゃんと見られる人なら、あの手のリアリズムがまったくのまがい物だとわかると思う。要するに、事実は小説よりも奇なり。たぶん私は、自分が住んでいる世界と同じくらい奇妙な小説を書こうとしているんだろうね。(pp.403-404)

(前略)私がとりあげているのは、予測できないものの存在だ。人生は我々をびっくり仰天させるという事実だ。どの瞬間にも、何だって起こりうる。世界について私たちが生涯抱いていた確信が、たった一秒で崩されたりする。哲学的物言いをすれば、偶発性の持つ力ということだ。人生は実は私たちのものではない。世界のものだ。世界を理解しようといくらこっちが努力しても、世界は我々の理解を超えている場だ。我々はたえずこうした謎にぶつかっている。その結果は、本当に恐ろしいものになりうる――と同時に、喜劇的なものにもなりうる。(pp.404-405)
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080812/1218508991 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080814/1218711491