http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061013/1160761446で、朱子学と神道の関係について少し言及した。また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080210/1202661324に対する野原さん*1のコメントにも関係するかも知れぬ。
李澤厚「中日文化心理比較試説略稿」(in 『歴史本体論・己卯五説(増訂本)』生活・読書・新知三聯書店、2006)*2に、江戸時代の儒家の神道に対するコメントの引用があったので(pp.291-292)、それを孫引き(或いは曾孫引き)的に抜書きすることにする。
先ずは林羅山――「本朝神道是王道、王道是儒道、固無差等」、「神道即理也」、「心外別無神、別無理。心清明、神之光也。行迹正、神之姿也。政行、神之徳也。国治、神之力也」*3。
貝原益軒――
山崎闇斎――
蓋神教固是易簡之要訣、得其要者一言而尽矣。故蚩不待求於外、然得儒教之輔翼、而其理益明備矣。故謂神道無假於儒教而自立、則尚可也;謂儒教無輔翼於神道、則不可也*4。
中江藤樹(中村藤樹)――
宇宙只一理而已、神人與聖人出生的地域蚩有東西之別、萬里相隔、然道為自然妙契之物、故吾人敬信神道也*5。
熊沢蕃山――
夫天地之神道乃倭漢之所同然。由倭漢春夏秋冬之色無異可知也。我朝之神皇之象、與唐土聖人之言若合符節……天地之神道者、唐土日本無異也*6。
雨森芳州――
天地之神道、無形無象、而為人之性。謂之中夏聖人之道可也、謂之日本神皇之道亦可也。……天照大神御治之時未有文字、以三神器為知仁勇之象、而為天地神祇的御宝、人世政道之極則也*7。
ところで、日本における「神儒一体」化言説の源流は室町時代の吉田兼倶に求められることになる;
神道者三、一曰神璽、仁也;二曰宝剣、武也;三曰鏡、明也。……何必言語文章之為哉! 或不得已而求其説、則求之孔門六藝之学可也。所謂三器者、本経也;鄒魯所述者、我注也*8。
また、儒者による〈反神道〉的な言説。例えば、佐藤直方;
吾日本生種子、震旦現枝葉、天竺開花実。故佛法乃萬法之花実、儒教為萬法之枝葉、神道為萬法的根本。
天若無神道、則無三光、亦無四時;地若無神道、則無五行、亦無萬物;人若無神道、則無一命、又無萬法*9。
三宅尚斎――
宇宙之間、一理而已、固不容二道矣。儒道正則神道邪、神道正則儒道邪……蚩有両従之理?*10
ここに挙げられた2人とも、山崎闇斎門下であることが興味深い。
我邦神者曰:皇統綿綿、萬萬歳不変……。斯知、変革、天地之常、自不得不変革矣*11
*1:http://d.hatena.ne.jp/noharra/
*2:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070126/1169783285
*3:李氏は宋徳宜『日本文化結構演変論』(遼寧教育出版社、1993)から引用している。
*4:岡田武彦『貝原益軒』(東大図書公司(台北)、1987)からの引用。
*5:岡田武彦『山崎闇斎』(東大図書公司(台北)、1987)からの引用。
*6:童長義『神儒交渉』商鼎文化出版公司(台北)、1993)からの引用。
*7:童長義『神儒交渉』商鼎文化出版公司(台北)、1993)からの引用。
*8:童長義『神儒交渉』商鼎文化出版公司(台北)、1993)からの引用。
*9:王守華、卞崇道『日本哲学史教程』山東大学出版社、1989)からの引用。