淮海中路の家――王安憶

「搬家」in『尋找上海』*1から。

王安憶は幼年時代から少女時代にかけて「淮海中路」に住んでいた。曰く、


我men家住在淮海中路上最繁華的一段、我men弄堂的左右有着益民百貨商店、百楽照相館、長春食品商店、大方綢布商店、世界皮鞋店、上海西餐館、鳳凰食品商店、新世界服装商店――這裏的服装、可説是領導着上海服装時代新潮流。再拐個弯、便是錦江飯店、那一条林陰道、奇跡般地在這擁擠*2的閙市鋪下了一路寧静。弄堂口是一個小学、我的母校。前辺是一大片街道花園。弄堂直対着思南路、路口是一個有着自動售票機的郵局――多年以後、我到一個家住虹口区的朋友家玩、ta*3鄭重其事地帯我去ta家附近的郵局参観新装置的自動售票機。這時候、我才明白、那自動售票機並非輿生倶来、也明白了小小一個上海之中的〓*4大距離。
我men家住在這条弄堂裏。這条弄堂有前後両排房子、総共是十幢。只是在多年以後、会看房票了、才明白這種房子新式里弄房子、規格是銅窓、蝋地。毎幢房子還有一個不大不小的花園。房子並不旧、却已経不太堅固了。地板鬆動*5、楼上走路稍放肆一些、楼下天花板便会震落一片石灰。十分潮湿、一種名叫“粘粘〓*6”的動物十分猖獗、到処乱爬、所経之路、都留下一条銀色的粘液。有一次、竟爬到了隔壁阿娘聴得了風声、便愉工減料、敷衍了事、於是留下了這許多後遺症(pp.87-88)。
淮海中路と思南路*7の交差点のところにある郵便局は知っている。王安憶が名前を挙げている店は既にない。
王安憶は弄堂の女の子たちがしていた遊びを挙げている――「翻跟頭」、「堅蜻蜒」、「劈叉」、「跳鞍馬」(p.91)。「翻跟頭」はとんぼ返り。「堅蜻蜒」は分からないが、「堅」い蜻蛉ということで竹とんぼ? 「劈叉」は両足を一直線に開脚して坐ること。「跳鞍馬」は馬跳びだろうか。この少女たちの中には「区少年業余体校的体操班」に所属していた子や「学校舞踏隊」に所属していた子もいたというので、これらを1960年代中国の少女の遊びというふうに一般化することは不可能だろう。
因みに、王安憶の一家は1974年に静安寺近くの「愚園路」に引っ越した。その時、王安憶は20歳になっていた。

*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070216/1171624766

*2:押し合うの意。

*3:おんなへん+也。

*4:ruo4. にんべん+若。GB5728. ruo大距離で、こんなに大きな距離。

*5:緩いの意。

*6:lu1. くちへん+魯。GB6464.

*7:思南路については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060827/1156645869で引用した『朝日』の記事を参照されたい。