「星主」としてではなく

(一昨年の囀りだが)中原鼎氏曰く、


「高義敬」は正しくは「高羲敬」。ちょっと誤解してしまった。「高羲敬」は別に済州島*1の旧「星主」として日本の華族に列したわけではないんだ。父親の「高永喜」が大韓帝国(朝鮮王国)の高官で、日韓併合に伴って「子爵」に列せられ、1916年に「永喜」が死んだ後、「羲敬」がその爵位を継いだに過ぎない。尚、「高永喜」はソウル生まれで、その生涯の裡で済州島で暮らした形跡はない*2


shionandshieun「どなたか祖母の話を調べてくれませんか?」https://shionandshieun.hatenablog.com/entry/2026/02/27/225829



あんたのおばあちゃんのおじいちゃんは済州島の王さまで、占いをしたり、島のひとに文字やことばを教えたりしていたみたいよ。村ごとに奥さんと2〜3人の子どもがいたらしいね。正式な奥さんはたしか5人で、そのひとたちのあいだには50人ぐらいの子どもがいたようだよ。

 あんたのおばあちゃんは小さいころ、そのおじいちゃんの膝の上にずっと座ってたんだって。おじいちゃんが占いをしているときも、島のひとから相談を受けているときも。跡継ぎだったから学校には行かなかったみたい。


 済州島で虐殺が起きる前に、おばあちゃんとおなじお母さんのお兄さんから「お前は済州高氏の本家の長女。いずれは島を継ぐんだから早く逃げろ。そして、日本で血を残せ」といわれて逃げたんだって。おばあちゃんが焼肉屋なのに料理できなかったのはお嬢さまだったからかねぇ。

おばあちゃんの家族はあの事件でほとんど殺されたそうだよ。貧乏なのに法事に熱心だったのはそのせいかもね。

父方の祖母の来歴は母からしょっちゅう聴いています。まとめれば、「父方の高祖父は済州島の支配者で祖母は後継者だったけど、虐殺事件から逃げるために日本へきた。祖母の家族のほとんどは4・3で殺された」でしょうか。

たしかに、「高永喜」の時代には「耽羅」という王国は既になく、支配者としての「星主」もいなかった*3。しかし、中央から派遣された役人は名目的で、実際は「星主」の家系の者が牛耳っていたということは十分に考えられることだ。この問題については、さらなる知見を俟ってペンディングとすべきであろう。
「済州島」「4・3」については、朴沙羅『家の歴史を書く』も読んだことがあるけれど、「星主」についての言及はなかった。これは「高」ではなくて、「朴」姓の人の「生活史」だからだろう。でも、Wikipediaによれば、「済州特別自治道では済州髙氏が金海金氏に次ぐ2番目に大きな氏族である」という*4。そして、「済州髙氏」の血筋は意外な(意外ではないか)ところに流れているのだった。金正日の愛人で金正恩の生母である高容姫は大阪生まれだが、その父祖は済州島で「済州髙氏」に属しているのだった*5