シュガーコーティング

はちみつ「コーティング」https://hannyhi8n12.hatenablog.com/entry/2024/12/25/115014


偶々見つける。「感情」を「コーティング」とか「冷凍保存」とか、何処かで使うかも知れない。だからコピーしておこう。ただ、「コーティング」というと、そのままシュガーコーティングを連想する。また、「コーティング」が溶け出すことを想像する。その甘さ。また、シュガーコーティングが溶け出せば、地の味が露呈するだろう。甘味に続いて苦味。


自分の心の様子をじっくり観察すると、自分の心というものがあるとしたら、それは何か、チョコレートのような、ペンキのような、とにかく粘土*1があって固いものでコーティングされているような気がした。

人間は何か辛いことがあった時に、その感情を冷凍保存することがある、とは臨床心理士の人に伺った話ではあるけれども、私の冷凍保存はまだそのままになっているらしく、その冷たさに触れたときに、たとえば夫は私が不感症のような気になって、私が生きていることをたびたび忘れるのではないだろうか。あるいは、私自身が私が生きているということを忘れている素振りをみせているのかもしれない。

私が他者の言葉を「引用」しているというのは確か。そう意識するとしないとに拘わらず。また、言葉はその発信者が死んでしまったとしても生きつづけるものだし、「もう死んでこの世からいなくなってしまった人」の言葉を「引用」しているのかも知れない。ただ、言葉が「コーティング」されている、或いは死んだふりをしている可能性はある。

私は本が好きだ。本を書いている人は大抵、もう死んでこの世からいなくなってしまった人だけれども、その人が私に向かって話してくれる瞬間が本ではずっと繰り返されていると思っている。昔、私のことを「人の言葉でしか喋れない、引用しかしない人間だ」と言った人がいたけれど、私はたぶん知識偏重というよりは、私の中にしかない感情やものの考え方を、言葉というブロックを使って組み立てているような気がする。と、このブロックのたとえ話も実は引用なのであるが、私からしたら、私という人間がわからなくて困っているのは、私の目の前にいるあなた方なのだという気分が拭えない。確かに私は本をずっと読んできて死者と会話をしてきた。でもその会話はとても豊かなものだった。本が友達というとき、それは孤独を指すわけではなくて、本を読むことでずっとずっと救われてきたということが、わかる人がもっといればいいのにと思うけれども、そういう世界はずっと静かで、目の前に起きていることがつまらないものになっているかもしれないという指摘もまたありえるだろうと思う。

*1:多分。粘度のタイポ。