時は刻まれ

かもすさん曰く、


知らなかった。鶴見駅の「時計」に関しては、検索したら、幾つかのテクストが見つかった。例えば、


nekohoshi「帰国事業の痕跡をたずねる1〜JR鶴見線鶴見駅ホームの時計」https://nekohoshi.hatenablog.com/entry/2016/12/05/134501
nkurashige「鶴見線ホームの掛け時計」https://nkurashige.wordpress.com/2022/01/28/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E7%B7%9A%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E6%8E%9B%E3%81%91%E6%99%82%E8%A8%88/
オオキアキト「鶴見線国道駅ベイエリア散歩(その1)」https://note.com/akitopoemi/n/n8895d2a83344


写真で見る限り、何時贈られたのかという年代はわからないのだけれど、Wikipediaの「鶴見駅」の項によれば、1959年である。
北朝鮮への「帰国運動」(北送)*1に関して、21世紀という特権的な時点からはどうしても批判的な態度にならざるを得ないし、ポジティヴな評価というのは殆ど不可能だろう。ただ、社会的にも経済的にもシヴィアな情況に置かれる中で、現実の悲惨に反比例するかのように〈祖国〉の幻想的な輝きが増していったということを理解しなければならない。日本人であれば、伯剌西爾の勝ち組の運動を媒介にすれば、このことも理解しやすくなるだろうか。戦後、伯剌西爾日系人も差別や貧困の中で、祖国日本の幻想を肥大化させ、(内なる敵としての)負け組の日本人への暴行や虐殺を惹き起こしたのだった(Cf. 前山隆『移民の日本回帰運動』)。
重要なのは、幻想の〈祖国〉ということで、「帰国」した人たちは、〈祖国〉とは言いつつ全く未知の土地に「帰国」してしまったということだろう。在日の朝鮮人の殆どは朝鮮半島南部の人であり、「北」に帰ったとしても、そこには親戚もいないだろうし、慣れ親しんだ文化も不在だった筈なのだ。