「勝ち組」/「負け組」など

『毎日』の記事;


映画:「汚れた心」アモリン監督に聞く 終戦直後、ブラジル日系社会の闇描く

 第二次大戦直後のブラジル日系社会は、祖国日本の敗戦を信じない「勝ち組」と敗戦を受け入れた「負け組」に分裂し、混乱の中で180人の死傷者が出た。日系社会の恥として長く語られなかった凄惨(せいさん)な歴史を題材に、映画「汚れた心」を製作したビセンテ・アモリン監督(43)に聞いた。【リオデジャネイロ(ブラジル)國枝すみれ】
 ◇「勝ち組」「負け組」の分裂…「原理主義と寛容の物語」

 終戦直後、日系移民の8割は「勝ち組」だった。彼らは、敗戦を認めてブラジル社会に同化しようとする「負け組」を国賊として襲撃した。23人が殺され、147人が負傷。381人が攻撃に関与した容疑で検挙された。多くの移民1世は事件について沈黙したまま死亡した。

 光を当てたのはブラジル人だ。2000年、ジャーナリストのフェルナンド・モライスがノンフィクション「汚れた心」を発表し、ベストセラーとなった。

 アモリン監督は外交官の子として英国、米国などを転々とした。「外国人として(異国に)存在する感覚、何かに所属する感覚」を表現できる題材を探していた監督は、すぐに映画化を決定。サンパウロ州日系人集落を訪ね、100人以上の日系人をインタビューした。

 移民たちがこだわった祖国、名誉、武士道、大和魂−−。アモリン監督は「ブラジル社会の偏見に打ち勝ち、日系コミュニティーを結束させ、アイデンティティーを保つ手段として必要だったのだと思う」という。

 虐殺を招いた原因はブラジル政府の日系社会に対する弾圧にもあった。ブラジルと日本の関係は1930年代から悪化。日系人は財産を没収され、収容施設に入れられた。日本語新聞は発禁、日本語学校は閉鎖された。

 アモリン監督は「映画は原理主義と寛容の物語。この問題は現在も存在する。イラク戦争パレスチナ紛争もそうだ」という。

 奥田瑛二伊原剛志常盤貴子らが出演。映画は来年4月、ブラジルで公開予定。日本での公開は未定。
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20100831dde012200038000c.html

「日本での公開は未定」か。
6月に北朝鮮への「帰国運動」(北送)に関するテッサ・モリス=鈴木さんへのインタヴュー*1を読んだとき、「帰国運動」或いは北朝鮮側のプロパガンダ在日朝鮮人の人々の間で信憑性(plausibility)を持ってしまったのかということは、日本人でも伯剌西爾における敗戦直後の「勝ち組」の運動を参照すれば理解可能なのかも知れないと思ったのだ。
「勝ち組」運動の研究書として最初に読んだのは前山隆先生の『移民の日本回帰運動』だったが、先ず問題は伯剌西爾日本人社会における社会階級に関っていた。少数の「負け組」は正確な情報へのアクセスが可能な、相対的に高学歴で経済的にも成功したエリートだったわけで、「勝ち組」運動には階級闘争の側面があった。また、これは北朝鮮への「帰国運動」とも共通するところだろうけど、「勝ち組」運動には千年王国的とも言い得る宗教性があった(カーゴ・カルト的な側面もあり)。差別と貧困の中で突如ユートピアとしての〈日本〉が幻想的に輝きだしたのだ。そもそも伯剌西爾移民は棄民政策であり、自らが〈日本〉に棄てられた存在であったにも拘らず。そして、日本から船が迎えに来て、ユートピア=祖国に帰還することができると信じられた。因みに、前山先生によれば、「勝ち組」が伯剌西爾社会に復帰するための媒介というか受け皿になったのは、生長の家などの日本宗教であったという。また、小栗康平の映画『伽倻子のために』*2もヒントになるかとは思う。
移民の日本回帰運動 (NHKブックス (418))

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小栗康平監督作品集 DVD-BOX

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