北に行った狼

先日、「『ブーフーウー』はぎりぎり憶えている」と書いた*1。でも、三匹の子豚たちの敵である狼の声をやっていた声優がどういう人なのかは知らなかった。永山一夫。彼は本名を「権秉純」という在日朝鮮人で、1971年に「在日朝鮮人の帰還事業により、新潟港から万景峰号北朝鮮に渡」ったが、その後の消息について、確実な情報は一切知られていない。1935年生まれだが、生死の程も知られていない*2
「永山一夫」で検索してみると、


堀伸夫「北朝鮮にいったブーフーウーの狼の声優さんと「ゴジラ」の中身」http://www.freeml.com/chance-forum/8216
「永山一夫と「ゼロ戦黒雲隊」」http://shisly.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_5854.html
北朝鮮http://blog.livedoor.jp/totorotomasanori/archives/4056253.html
徹子の部屋姜尚中先生」http://plaza.rakuten.co.jp/nikkanv/diary/200407060000/


といった記事が引っかかる。
徹子の部屋姜尚中先生」によると、2004年に姜尚中*3が『徹子の部屋』に出演したとき、「永山一夫」というトピックが出たのだという。


その永山さんがある日、自分が在日朝鮮人だという事をみんなに告白しました。北朝鮮に帰る決心をしたからです。当時、北朝鮮への「帰国運動」がまだ続いていて「地上の楽園」だと謳われていた頃でした。彼は日本生まれですがご両親が北朝鮮にいらしたというのもあって、最後の「帰国船」で北朝鮮に帰ることになりました。その時は永山さんのためにNHKが二元中継し、黒柳さんは東京のスタジオで彼が新潟港から出港するのを見届けたそうです。

ところが永山さんは北朝鮮に帰って、俳優になりたかったそうですが、アメリカ人など悪役ばかりを演じるなど日のあたる役を演じさせてもらえないまま、月日は経ち、黒柳さんは「永山さん」の事をずっと強く気にかけてらっしゃって、しかし最近向こうで亡くなられたと伝え聞いたそうです。黒柳さんは「本当にかわいそう」「残念」とおっしゃっていました。「国交が結ばれる日」「いつか必ず会いましょう」と永山さんが言っていたことが今でも心に強く残っているとも述べておられました。

堀伸夫氏の文に曰く、

わたしの記憶では、日本で最後の映画出演をした直後、
ブーフーウーの狼の声優さん、永山さんは、在日コリアンであることを
告白して、NHKの朝のニュースの中継カメラが見守るなか、
お子さんひとりを連れて、「北朝鮮」行きの船に乗って「北」へ帰国していきました。

「永山さん」は、帰国にあたって「朝鮮民主主義人民共和国は、日本と違って、
芸術家に対する待遇がいいですからね」との主旨の発言をされていました。

あの頃は、在日コリアンの人びとのなかでも、南のほうの出身の人たちも「北朝鮮
は「楽園」だという宣伝を信じて、「永山さん」と同じように、あわせて9万数千人
北朝鮮に「帰国」していったそうです。

「永山さん」が乗った船は、日本赤十字与野党の応援による、この「帰国事業」の
ほとんど最後のほうの船だったそうです。

ところが、数年前、ブーフーウーの「ウー」の声を担当していた
黒柳徹子さんが「永山さんが北朝鮮で病死した」という話をしていました。

北朝鮮」というエントリーには、「巽」という方がコメントを寄せている;

はじめまして。 初めてコメントさせて頂きます。永山一夫さんのファンで、尚かつ、拉致被害者脱北者の方々の支援をさせて頂いており、こちらに辿り着きました。 帰国事業の悲劇と、当時の在日の方々の状況、管理人様の御友達だった金さんに思いを馳せます・・。東映の故・工藤栄一監督が生前の90年代後半に永山さんの思い出を語る中で、俳優の白竜さんから「北朝鮮で良い生活をしているらしい・・、詳しい事は分からない」との話を聞いたらしく、心配しておられたのですが、黒柳徹子さんは「死去したらしい」との発言をされていましたね・・。大島渚監督や創造社の方々とも交流があったらしく、大島監督は「帰国に不安はあったが、強く引き止められなかった・・」とおっしゃっていたようです。帰国を推進した総連や煽った一部マスコミの責任、帰国者の方々をそのような気持ちにさせた、日本の差別意識、やりきれません・・。では、また。