韓国のイメージ

http://d.hatena.ne.jp/yskszk/20070212#p2


この記事の冒頭で、四方田犬彦「先生とわたし」が言及されている。
さて、


当時の韓国は軍事独裁政権が続いており、日本では「恐ろしい国」「何をするか判らない国」と思われていた(ようである)。「ようである」と自信がなさそうに付け加えたのは、日本のマスコミが軍事独裁政権時代の韓国をどのように表象していたか、きちんとした資料を持っていないからである(なお母親に「むかしの韓国にどんなイメージを持っていたか」と質問したところ、「李承晩ライン……」というほとんど答えになっていない答えしか返ってこなかった)。

ともあれソウルオリンピック(1988年)あたりから日本人の対韓国イメージは好転し、それに反比例するかのように対北朝鮮イメージは悪化し、好転しすぎた対韓国イメージへのバックラッシュとして今日の「嫌韓」があるというのがオレの整理なのだが、間違っていないだろうか。

「当時」というのは1979年のこと。因みに1979年の韓国というのは朴大統領が側近に射殺されるといった混沌とした年だったと思う。その混乱の中で軍事クーデタによって全斗煥が大統領に就任し、1980年には光州事件が起こり、金大中や金泳三といった野党政治家が逮捕される。
「当時」の韓国イメージというのを思い出してみる。勿論、当時は現在のような〈韓流〉というのはなかった。戦前以来の(現在も続いているであろう)差別意識というのはあったけれど、韓国に対する統一的なイメージというのは結ばれていなかったような気がする。左翼にとっては、


 軍事独裁政権  悪
 民主化運動   善


という図式であり、右側ではそれが反転するという感じで、何れにしても〈韓国〉それ自体は問題になっていない。左でも右でもない一般ピープルにとっては関心の対象になっていなかったともいえる。それから、オヤジにとっては当時の韓国というと〈妓生観光〉というイメージが強かったのではないか。1980年代中盤に至って、経済学者の間でNIESの一環としての経済成長する韓国という関心が強まり、それと同時に1988年のオリンピックに向けて、韓国の民俗文化やポップ・カルチャーへの関心も徐々に強まってくるという感じか*1
話を戻すと、左翼の一部(あくまでも一部)では(前提として)韓国を国家として認めていなかったということもある。〈米帝による傀儡政権〉! それは国名表記にも表れており、「「韓」国」というふうに括弧をつけたり、「南朝鮮」という呼び方をしたりという人々も一部にはあった*2
韓国に対して北朝鮮だけれど、勿論北朝鮮に関しては昔から〈主体思想研究会〉のような信者は多かっただろう。また例えば蘇聯を支持するようなスターリニストの人たちは(少なくとも建前的には)北朝鮮を支持していた。新左翼とか市民派の人たちはどうだったかといえば、端的に言って無関心だったと思う。それは一般の人たちも同様だ。当時は現在と違って北朝鮮がワイド・ショーのネタになるような時代ではなかった。「ソウルオリンピック(1988年)あたりから日本人の対韓国イメージは好転し、それに反比例するかのように対北朝鮮イメージは悪化し」とあるけれど、これだとそれ以前は北朝鮮のイメージが良かったという印象が喚起されてしまうが、それ以前でも北朝鮮のイメージというのは相対的にいえば悪かったことには変わりはない*3。ソウル・オリンピックを契機に韓国が蘇聯や中国と接近し、それによって北朝鮮の国際的孤立が相対的に促進されたということはあるけれど、北朝鮮にとって決定的だったのはその前年の大韓航空機爆破事件だろう。それまではたんなる〈不思議の国〉にすぎなかった北朝鮮が一躍〈テロ国家〉として国際的にブレイクし、ワイド・ショーのネタになるのはこの事件を契機としてだったと思う。
80年代の日韓関係というと、大島渚馬鹿野郎発言とかもあったし、中上健次と韓国との関わりも重要だとは思うが、それらについては今のところ記憶も曖昧なので、発言は控えておく。

*1:私が初めて韓国映画を観て、林権澤といった映画作家の名前を知ったのは80年代の半ばくらいだったか。

*2:こういう左翼的な呼称が在日韓国人にとって不快なものであったことはいうまでもない。

*3:〈帰国運動〉華やかなりし頃、『キューポラのある街』の時代についてはよくわからない。