「ゆるふわ」

大野道夫『つぶやく現代の短歌史 1985-2021』*1から。
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(2012)から3首;


なついた猫にやるものがない 垂直の日射しがまぶたに当たって熱い
目覚めると満月のすごい夜だった頬によだれがべったりあって
月を見つけて月いいよねと君が言う  ぼくはこっちだからじゃあまたね
(Cited in p.154)
これらについて大野氏は以下のようにコメントし、「ゆるふわ接続」という表現法を見出している;

歌集名も印象的な永井祐(一九八一~ )作の一首目は、〈なついた猫にやるものがない〉と〈垂直の日射しがまぶたに当たって熱い〉が、切り離されるとそれぞれの言葉がややキツイ印象も与える。しかし両者が、たとえば「なついた猫にやるものがない だからというわけでもないが  垂直の日射しがまぶたに当たって熱い」のように「ゆるく」接続していると読むことによって、ややさみしく、ややけだるい昼の雰囲気を醸し出している。
二首目の上の句と下の句は、一首目と比較するとやや順接の関係はある。しかし、やはり上句と下句の間へ「だから」よりも「だからというわけでもないが」の方が挿入できるように、ゆるく接続していて、むしろそのことによって〈満月のすごい夜〉の無気味な雰囲気が表現されている。
そして三首目の、二次空けによって離された上の句と下の句も、やや逆説の関係はあるが、やはりゆるく接続している。そしてそのことによって二人の関係性の空気感のようなものを表現している、ということができる。(p.157)

これらの永井の歌の句と句の関係は、前が後の「順当な原因・理由になっている」という順接とはいえず、また逆接ともいえない。しかしまた前と後で切れているとも言いがたく、どちらかがどちらかの喩になっているわけでもなく、前と後で接続はしている。したがってこのような接続を、順接でも逆接でもないゆるい接続という意味で「ゆるふわ接続」と名付けてみたい。
「ゆるふわ接続」とは句と句をゆるく接続させることによって、一首全体としてある空気感、雰囲気を表現するもの、と定義される。「ゆるふわ」という語は辞書にも載っているが*2、本書では「ゆる」は「ゆるく接続」、「ふわ」は「ふわっと空気感を表現」という意味を込めている。そしてこのゆるふわ接続は、さまざまな現象が、順接、逆接などの明確な関係で繋がっているのではない現代の社会を反映している、といえるだろう。(p.158)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/10/11/160228 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/10/17/132408 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/10/30/150438 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2023/11/04/165054

*2:「たとえば『スーパー大辞林3・0』では「俗に、ゆるっとして、ふわったとした様子。雰囲気や髪型などについて言う」とされている」」。(註5、p.227)