観音と猿

石濱裕美子*1『物語 チベットの歴史』から。


仏教のフィルターを通じて再編された古代チベット史において、主役となったのは観音菩薩である。菩薩とは自らの幸せを犠牲にして命あるものの救済につく大乗仏教の理想の人間像である。なかでも観音菩薩は仏の慈悲の化身として人気があり、十二世紀から十三世紀にかけてアジア全域で崇拝された。たとえばカンボジアのクメール帝国の王、ジャヤヴァルマン七世は観音菩薩(世自在)を信仰し、王都アンコールトムに観音を祀るバイヨン寺を建設し、自らを世自在として造像させている。
埋蔵経説は、観音菩薩チベット人の誕生を祝福し、知的に成長させ、さらにソンツェン・ガムポ王、各宗派の宗祖などの歴史上有名な王、高僧に化身してチベット人を善に導いてきたとし、十七世紀から政教一致チベット政府のトップに君臨した歴代ダライ・ラマ観音菩薩の化身として崇められてきた。このように現在に至るまでチベット史を通底している観音菩薩の物語は、太古の昔の観音菩薩の誓いから始まる。(p.13)
「埋蔵経説」が伝えるチベット人の起源の説話;

(前略)観音菩薩はインドからチベットに修行にやってきた一匹の雄猿に菩薩戒を授けた。その猿が黒い岩の上で瞑想していると羅刹女がやってきて求愛の動作を示した。雄猿が相手にしないと羅刹女は怒り「もしあなたの妻になれないならば、羅刹男と一緒になって、昼夜を問わず一万の命あるものを殺して食ってやる」と言った。困った猿が観音菩薩のもとへ相談に行くと、観音菩薩とターラー菩薩*2羅刹女と一緒になることを勧め、二匹の結婚を祝福した。
二匹の間には「六つの生存領域」(天・阿修羅・人・餓鬼・畜生・地獄)*3から転生した六匹の小猿が生まれた。三匹は菩薩の猿である父に似て性質がよく、三匹は羅刹女の母に似て気性が荒かった。三年経って父猿が小猿を見に戻ると小猿は五百匹に増え、食べるものがなくなって飢えていた。父猿が観音のもとに相談に行くと、観音は「汝の一族は私が守ろう」と、耕さずとも生える作物を授けた。この作物を食べるうちに小猿の卦は短くなり、尾も短くなり、言葉を知るようになった。(pp.15-16)

(前略)菩薩の猿とはインドからヒマラヤに修行に来たシヴァ教の苦行者を、羅刹女とはチベットの先住民の女性を暗示しており、二人の結婚によって生まれた六匹の猿はチベットの六大氏族の祖先なので、チベットの人の祖先であることを示している。つまり、チベット人は自らの民族の期限を仏教の発祥の地であるインドに措定していたのである(pp.16-17)。

*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080528/1211939300

*2:多羅菩薩。See eg. 金岡秀郎「女尊ターラー菩薩の信仰」『高尾山報』(高尾山薬王院)658、pp.10-11、2018 https://www.takaosan.or.jp/takaosanpo/pdf/2018/201811_p10-11.pdf https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%BE%85%E8%8F%A9%E8%96%A9

*3:所謂六道。