「世」が抜けて

張冲「欧陽予倩対谷崎潤一郎戯劇的訳介――以《空與色》為考察対象」(in 王志松編『文化移植與方法 東亜的訓読・翻案・翻訳』廣西師範大学出版社、2013*1、pp.248-263)


梵語のAvalokiteśvaraは「観世音菩薩」と漢訳されているが、「世」が抜けて「観音菩薩」と呼ばれることが多い。これは唐代以降のこと。唐の太宗「李世民」の「世」と重なることを憚ってのこと*2。「世」が抜けて「観音」になるとともに、Avalokiteśvaraには2つの大きな変化が起こっている。そもそもは男性の形象だったが、女性としてイメージされることが多くなった。また、中国化。観音はたんに女性化されただけでなく、中国人女性になった(pp.250-251)。「在民間信仰中、観音本名妙善、是荘王的三女児、在汝州*3香山寺修行得道」(p.251)。文献として挙げられているのは、唐代の『香山大悲菩薩伝』、宋代の『観世音菩薩』、『香山宝巻』。また、形象の多様化。「柳枝観音」、「魚籃観音」、「水月観音」等。
さて、「観世音菩薩」は鳩摩羅什の訳語。玄奘の訳では「観自在菩薩」(See 松枝到『密語のゆくえ』、p.122ff.)。