ボン教と仏教

熊谷誠慈「 ボン教とは」(熊谷誠慈編『ボン教 弱者を生き抜くチベットの知恵』、pp.1-10)から。
チベットと言えば仏教国。「しかし、チベットにおいて、仏教とは、あくまでインドや中国から伝来してきた外来宗教であり、仏教伝来以前にはボン教*1なる宗教が存在していた」(p.1)。


ボン教とは、チベットやヒマラヤ地域の土着宗教の総称である。近年、仏教伝来以前にポン教なる宗教が本当に存在していたか否かが、学者間で見解はわかれている*2。ただし、七世紀の仏教伝来以前に、チベットにおいてさまざまな宗教儀礼が存在していたことは間違いない。それらを「ボン教」と呼ぶか、あるいは「チベットの古代宗教」と呼ぶかは、学者によってまちまちである。
なお、仏教の東進は紀元後六世紀の日本伝来(五五二年あるいは五三八年)をもって完了した。その後、仏教は東北アジア地域へと展開していった。仏教がインドから北東隣のチベットに公式に伝来したのは意外に遅く、七世紀の吐蕃王ソンツェンガンポ(Song btsan sgam po:五八一/六一八―六四九)の時代とされる。というのも、チベット地域にはそれまで統一王朝が存在していなかったため、国家による組織的な仏教受容は、他の仏教地域に比べて遅くなった。八世紀末のティソンデツェン王(Khri srong lde btsan:七四二―七九七)の時代に、仏教はチベットの正式な国教となり、現在のその地位を保持し続けているが、ボン教と称される土着宗教が消滅したわけではなかった。(p.3)

吐蕃王国およびその後につづく百五十年ほどの混迷期までの時代を、仏教前期伝播期と呼び、十一世紀前半にアティシャ(Atisa Dipankana Srijnana:九八二―一〇五四)がチベットで布教を始めたころからの時代を仏教後期伝播期と呼ぶ。仏教前期伝播期のボン教(古ボン教)は、動物供犠など、古代宗教色の強い宗教であった。他方、十一世紀以降のボン教(新ボン教)は、仏教教義を次々に取り込み、仏教的な宗教へと変容していった。ボン教の神話や歴史書などは、おおよそ新ポン教の中で構築されていったものである。それらの歴史的記述は、信仰的側面においては是とすべきであるが、科学的、が駆出的観点からは十世紀以前に適用するのは困難である(後略)
ボ教の伝統では、ボン教の開祖を、トンパ(教主)・シェンラプミポ(gShen rab mi bo:紀元前一六〇一六―紀元前七八一六(略))という人物に帰している。シェンラプは、伝承上、その寿命は八千二百歳とされている。彼は、タジクのオルモルンリン(’Ol mo lung ring)という都市(タジキスタンあるいはペルシアなど諸説存在)で生まれたとされる。やがて、シェンラプはボン教の布教を開始し、インド、中国、シャンシュン(Zhang zhung:西チベット)、そして中央チベットの順にボン教を広めたと言われている。(pp.3-4)

ボン教は現在もチベット及び周辺国に存在している。チベット動乱後にチベットから印度共和国ヒマチャルブラデーシュ州のドランジ(Dolanji)に拠点を移したメンリ寺(bKra shis sman ri fgon p)や、ネパールのカトマンズにあるディテンオルブツェ寺(Khri brtan nor bu rtse)などが本山機能を有し、いまもなおヒマラヤ地域のボン教コミュニティに大きな影響を持っている。こうしたポン教の僧院を訪れると、正確な知識がなければチベット仏教のお寺と誤認してしまいやすい。本堂には像が安置され、経典が積み上げられ、そして僧衣を身にまとった僧侶がいる。いずれもチベット仏教のものにかなり類似しており、一目では判別し難い。
このように、元々、仏教とはまったく異なる宗教であったボン教は、千二百年の歳月をかけ、多くの部分で仏教的要素を受容しながら、現在まで生き延びてきた。しかし、仏教のコピーであるかというと決してそうではない。ボン教徒たちにとっての信仰対象は、シェンラプなどのボン教の仏や菩薩、神々である。彼らは、釈迦牟尼阿弥陀仏観音菩薩など、仏教の仏や菩薩たちに対しては、敬意は持っていても信仰はしない。哲学や修行法については多くの点で類似するが、宗教としてはまったく別物であるという点は、明白である。このように、ボン教は、仏教という強者と争うことをせずに、仏教の長所を取り込みながらも、自らの宗教としてのアイデンティティを保持し続けてきたのである。(pp.5-6)

*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080418/1208487713

*2:仏教伝来以前の日本に神道なる宗教が存在していたか否か。