「本当に望むものは、手に入れるべきではない」(村上陽一郎)

村上陽一郎*1「なつかしい一冊 シラノ・ド・ベルジュラック」『毎日新聞』2020年9月19日


エドモン・コンスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック*2。「父親の書棚から取り出し」て「虜」になったのだという。


深遠な哲学書でも、好趣の薫り高い文芸書でもない、要するに戯曲の脚本のようなこの本が。何故私を虜にしたのか、と言えば、その中のたった一行、「恋しい人の目に宿る嘲りが恐ろしかった」が、私の生涯を左右するほどの衝撃を与えたからだ。母にさえ疎まれる醜貌の詩人シラノが、従妹の佳人ロクサーヌへの思いを語る言葉なのだが、およそ男女のことなど碌に判っていない少年であった私には、これこそ普遍の真、自分自身にも完璧に当て嵌まると信じたのだった。
漱石は、シェイクスピアの『十二夜*3を論じた評論の中で、男装のヴァイオラの台詞を引いて、「実らぬ恋」こそ真の恋であることの証とするが、思いをかけた相手に、その思いの片鱗だに知られた時に、返ってくるのは嘲り、憫笑に過ぎない、それがこの世の真実だと私は思い込んだのである。
以来、私は、自分が本当に望むものは、手に入れるべきではない、というルールを身に課すことになった。ここでの「べき」は可能であると同時に、義務の意でもある。