本場と日本(メモ)

松谷創一郎*1日本アカデミー賞の存在理由――北野武監督の批判と岡田裕介会長の反論」http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20150118-00042331/


一昨年の10月に北野武ビートたけし)が「日本アカデミー賞最優秀賞」なんてメジャー映画会社の持ち回りじゃないかと批判し、それに対して日本アカデミー賞協会会長の岡田裕介東映会長が反論したということがあったというのは知らなかった*2。まあ、北野武は世界的な評価もある日本を代表する映画作家なのに、「日本アカデミー賞」から「見放されている」ということもあるのだけど。
かなり以前に、井筒和幸の『パッチギ!』が、「日本アカデミー賞」を逃したことに憤っていた人がいて*3、それに触発されて、「日本アカデミー賞」について無駄口を叩いたことがあった;


日本アカデミー賞」という存在そのものがそもそもビンボー臭いと思う。斜陽産業になった映画業界が景気づけのためにちょっとしたイヴェントでもどうかということで、広告代理店とかTV局とかも謀議に参加して始められたものでしょ。それで、ネーミング自体が「日本アカデミー賞」ということで、最初から私はパッチモンですということを自白しているようなものだ。だから、そもそもどんくさくて、ショウ・ビズ的な美徳である傲慢なほどのゴージャスさに欠ける。大体が、「日本アカデミー賞」が始まった頃は、例えば『キネマ旬報』の評論家投票などの方が映画ファンの間では権威があったように思う。今でも、毎日や報知のような新聞社系の賞のほうが権威を持っているのではないかと思う。また、アメリカの場合、ゴールデン・グローブからオスカーにかけて、みんながどきどきしながら下馬評などをして、最後はオスカー本番のセレブ揃い踏みで締めるというのは、映画界を超えて、冬が明け・春を迎える季節行事となってもいるといえるが、当然ながら「日本アカデミー賞」にそんな趣はない。だから、「日本アカデミー賞」などそれほどのものではないということだ。

また、「資本の論理」からいってどうなんだろうか。一国資本主義というか護送船団的資本主義なら、「持ち回り」の論理もそれはそれで麗しいとはいえる。しかし、グローバル化ということからいえばどうなのか。問題は、「日本アカデミー賞」を取れば、グローバルな映画市場においてどれだけの付加価値がつくのかということだろう。当然、オスカーは勿論のこと、カンヌやヴェネツィアや伯林よりも価値が上だと思っている人はいないだろう。ただ、「資本の論理」からすれば、グローバルな市場における付加価値を高めるべく努力するというのは当然のことだろう。「持ち回り」の論理は国内市場においては合理性を有するかも知れないが、グローバルな市場においてそんなことをしていたら、賞の権威=付加価値を弱めてしまい、結局のところ、国際的な競争力を弱体化してしまうことになる。「資本」としてはそれでいいの? 『パッチギ!』はエンターテイメントとして優れており、本来メジャー系で封切られるべきものだったと思うので微妙なのだが、マイナーな映画やアーティスティックな映画ほど、その存立を、自国の大衆よりもグローバルな市場、というよりもトランスナショナルな映画ファンのコミュニティに依拠している筈だ。だから、日本アカデミー賞を逃したからといって、大したことはないということはできる。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060305/1141541736

まあそういうこと。山寨アカデミー賞はさて措いて、本家のオスカーも大揺れのようだ。白人優先主義に抗議してのスパイク・リーらによるボイコット宣言。以下、タイトルをマークするだけでお茶を濁したい;


猿渡由紀「オスカー候補者はまたもや全員白人。非難を受けてもアカデミーが“変われない”ワケ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160116-00053472/
猿渡由紀「マイケル・ムーアも“白すぎる”オスカーをボイコット」http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cpia201601200003.html
猿渡由紀「“白すぎる”オスカー:ウィル・スミスもボイコット宣言。視聴率、オスカーの“価値”への影響は?」http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160122-00053670/
猿渡由紀「“白すぎるオスカー”批判を受け、アカデミーが早くもルール変更。女性とマイノリティ会員を2倍に」http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160123-00053708/


また、英国の〈白いマイケル・ジャクソン〉問題;


英コメディでマイケル役に白人俳優、「業界に根深い差別」と批判

2016年1月28日15時00分

 [27日 ロイター] - 英コメディ番組で故マイケル・ジャクソン役を白人の英俳優ジョセフ・ファインズが演じることになり、黒人芸能人を中心に業界から批判が集まっている。ファインズは主演映画「恋におちたシェイクスピア」などで知られる。

 衛星テレビ局スカイ・アーツが放映するこのコメディシリーズは、「エリザベス、マイケルとマーロン(原題)」というタイトル。マイケルが2001年に映画スターのエリザベス・テイラーマーロン・ブランドを連れて米国ツアーを行った逸話に基づく架空のロードムービーだ。

 エンターテインメント業界では、今年の米アカデミー賞の俳優部門に黒人がノミネートされなかったことでウィル・スミスが来月の授賞式欠席を表明するなど、波紋が広がっている。

 ニュースサイト「デイリー・ビースト」の娯楽担当記者、ステレオ・ウィリアムズ氏はファインズの起用について「業界に人種問題が根深く残っていることの表れ」と指摘。米人権活動家のドレー・マッキンソン氏はツイッターで「マイケルを演じられる黒人俳優は、本当に見つからなかったのだろうか」と投稿した。ツイッターには「ファインズがマイケル役なら、公平を期すために、デンゼル・ワシントンは次回作でプレスリーを演じるべきだ」と皮肉る投稿もある。

 番組の放映開始は年内の予定。
http://www.asahi.com/culture/reuters/CREKCN0V60E2.html