「読書」と「冒険」

関雄輔*1「読書と冒険は全く同じ」『毎日新聞』2021年12月12日


2021年5月に神奈川県大和市に書店「冒険研究所書店」*2を開いた、「北極冒険家」の荻田泰永*3へのインタヴュー記事。


この場所は2年ほど前から事務所として使用していたのですが、周りに本屋がありません。昨年、コロナ禍で休校になった子供たちを事務所で預かった時、「この子たちはどこで本を買うのかな」と思ったんです。インターネットでも本は買えますが、本屋に足を運ぶと思いがけない本に興味をひかれることがありますよね。そうした「不意の出合い」を提供する役割が街の本屋にはあると思うんです。

『読書について』という本の中でショーペンハウアー(ドイツの哲学者)は、読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ、と書いています。多読にいそしむ人は自分でものを考える力を失う、とも。これは私の解釈ですが、彼が言っているのは、読書がダメということでではなく、本に答えが書いてあると思うな、という戒めではないでしょうか。多くの人は本の中に答えを探しながら読みますが、それは所詮著者の答えで、世の中全ての真理ではないし、ましてや、読み手の答えであるはずがないんです。答えは自分の頭の中にしかありません。そこにたどり着くためのヒントやガイドになるのが読書で、やっぱり自分の脚で歩き、自分の頭で考えないといけないと思うんです。

本を読むことと冒険をすることって、全く同じなんです。どちらも自分の頭で考えることが大事で、読み終えたり、どこかにたどりついたりすることが目的ではありません。冒険でも「ここから出発しなくてはならない」「そうしなくては誰も認めない」みたいなルールを言うことがいますが、「皆に認められるためにやっているんだっけ?」って思います。自分の価値観でやればいいのに、人の目が基準になっていくんです。冒険も読書も同じで、基準を自分の外に立てると、自分の頭で考える力を失ってしまいます。