見てきたような



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講談というのがありましたよね。あれと関連あるのでしょうか? いわゆる小説にくらべて、歴史上に実在した登場人物を出すと、読む方が「これはじっさいあったことだ」と思って読んでしまうせいで、一般の小説読むのが苦手な人も読み易い傾向があるようで。
 塩野七生ローマ人の物語を「司馬遼太郎のようなものを書きたい」と編集に言ってはじめたそうです。

文章の長さについては、橋本治は「長い文章で書いちゃうと、反論しづらくなるのよね(だから自分は長い文章で書いたの)」という主旨の発言をしていたのを記憶しています。

講談師見てきたような噓を言い、とも言いますよね。
ことの良し悪しはともかく、司馬遼太郎にとって「講談」は重要だと思っています。エラくなる前というか、作家として二ブレークは、司馬遼太郎は〈忍者〉ものの作家でした。直木賞受賞作の『梟の城*1もそうですし、霧隠才蔵を主人公にした『風神の門』*2もあります。で、忍者小説の起源は大正時代の立川文庫にあり、猿飛佐助や霧隠才蔵といったヒーローもその中で作られたものです。立川文庫は講談を速記によって活字化したものです。
講談というのは(落語もそうかもしれませんが)、〈見てきたような嘘〉を語る講談師の現前があります。司馬遼太郎の文章の場合も、読者は、歴史を語る司馬自身の現前に気付いている筈です。