「図書館」がなかった時代

津野海太郎*1『最後の読書』から。


私の年代の者がおおむねそうだったように、私も小学生のころ、『宝島』『巌窟王』『小公子』『家なき子』『トム・ソウヤーの冒険』『あゝ無情』『三銃士』『鉄仮面』『フランダースの犬』といった「世界名作」のダイジェスト本を、戦前にでたものを粗末な紙で復刊した講談社偕成社の児童書シリーズで読んだ。
といっても当時の親たちに、本に飢えたわが子に新刊本をどんどん買って与えるだけの経済力はなかった。
だとしたら学校や近所の図書館で借りて――と、いまならおそらくそうなるのだろうが、当時はそれもむり。私は疎開先をふくめて四つの小学校にかよったが、そのどこにも℃庶室はなかったし、地域の図書館のようなものも、都道府県立の大きな図書館をのぞくと、まったくないにひとしかったのだから。
それに、たとえあったとしても、アメリカ占領下の一九五〇年に「図書館法」が制定されるまで、公立図書館のおおくは有料(いまでいえば百円か二百円の入館料を徴収する)で、しかも借りた本は持ち出し禁止、館内で読むのが決まりだった。ようするにこの国には、いまは常識となっている「図書館に行けばタダで本を借りて好きな場所で自由に読める」という原則が存在していなかったのである。(pp.261-262)
津野氏の1938年生まれ。

だとすると、あのころ私はじぶんの読む本をどうやって手にしていたのだろうか。
よくおぼえていないけれども、たぶんうちの何冊かは親にせがんで買ってもらい、のこりのほとんどはやはり友だちに借りて読んでいたのでしょうな。そして五〇年代のはじめ、中学にはいたころから、そこに貸本屋が加わってくる。家*2から歩いて十分ほどの横町に小さな間口の貸本屋ができ、いつしかそこに出入りするようになったのだ。(p.261)
貸本屋」というのは一般に何時頃まであったのだろうか。私が中学生の頃、商店街に1軒貸本屋があった。中学を卒業する頃にはもう消えていた。何時頃からあったのかはわからない。小学校時代にその貸本屋があったという記憶はない。たんに気づかなかっただけなのか、それともまだ開業していなかったのか。扱っていたのは、主に図書館にはない漫画本だったけれど、小説の類があったのかどうかも覚えていない。その後、貸本屋を見たのは天安門事件直後の中国廣西だった。町内に1軒は貸本屋があったのではないか。勿論、その後、中国でも貸本屋は消え去っている。
さて、学級文庫というのが小学校にできたのは何時頃だっただろうか。私は子どもの頃、本を読む習慣というのがほとんどなく、子どもの頃に読んだ本ということで、真っ先に思い出すのは、学級文庫にあった、リンカーンとか野口英世とかシュヴァイツァーとかの偉人伝なのだ。授業参観で学校の教室に行って、学級文庫が(私の小学生時代と比べて)量的にも・質的にもすごく充実しているということに驚いたりした。