「原風景」の話

近田春夫*1「なつかしい一冊 バージニア・リー・バートン文・絵 石井桃子訳『ちいさいおうち』」『毎日新聞』2022年2月12日


ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』*2は、近田春夫氏にとって、「生まれてから最初に好きになった」本なのだという。


(前略)この本が私の心を捉えて離さなかった理由の第一は絵である。”ちいさいおうち”をとりまく情景の移り変わり(それは時代でもあり四季でもある)を――おそらくは色鉛筆であろう――柔らかな色合いの筆致でセンスよく描写してくれていて、眺めているだけでもなんだか想像力が膨らんできたのだ。

ある時、昔その家の持ち主だった人間の孫の孫のそんまた孫苑麻卵が偶然”ちいさいおうち”の存在を知り、またかつてのような風景のなかに建物を移動させた。それでめでたしめでたしというだけのお話なのだけど、童話の絵本には珍しく人物を点景でしかあらわさぬ作風といい、また建築物をいたずらに擬人化したりもせず、全体の印象の何処か淡々として叙事的といおうか、大人になりふとページを開くと、作者バージニア・リー・バートンの、この世界の見渡し方のセンス/眼差しの冷徹さにも気付き感銘を新たにしたものである。
すなわち、やっとりんごの木のある丘に戻ることができ、心のやすらぎを得た”ちいさいおうち”だが、その場所にもいずれまた都市開発の波は押し寄せるだろう。子供だった頃想像もし得なかった展開の可能性に気付かされたのである。実はこの本の真のテーマは、時間は一方的にしか進まぬという「エントロピー」だったのかいな?
最後は近田氏の「原風景」の話――「地下鉄銀座線がまだ高架でビルの合間を渡っているのが見えた頃の渋谷駅付近と、ここに描かれた都会の景色とが、子供時分の私には本当によく似ているように思えた」。