ボルヘス『詩という仕事について』

詩という仕事について (岩波文庫)

詩という仕事について (岩波文庫)

先週、ボルヘス『詩という仕事について』(カリン=アンドレイ・ミハイレスク編、鼓直訳、岩波文庫*1を読了。


1 詩という謎
2 隠喩
3 物語り
4 言葉の調べと翻訳
5 思考と詩
6 詩人の信条

気紛れな芸術のあれこれ(カリン=アンドレイ・ミハイレスク)


編者注
訳注
訳者あとがき

1967年から1968年にかけてハーヴァード大学にて英語で行われた連続講義。編者の カリン=アンドレイ・ミハイレスク曰く、

(前略)ボルヘスの存在はよくある時の風化に耐え、この忘却を免れた講義の魅力と効験もまた少しも衰えていない。六回の講義は三十年以上も活字に起こされることがなく、その録音テープは図書館のひっそりとした地下室で埃をかむっていた。埃が厚く積もったとき。やっと、それは発見された。一九三九年から四〇年にかけて(ハーヴァードの)ノートン講座で行なわれ、一九七〇年にハーヴァード大学によって出版されたイゴール・ストランヴィンスキーの『七回の講義形式による音楽理論』の恐るべき先例は、活字にするのが延び延びになったからと言って、講義の価値が失われるものではないことをよく示したが、ボルヘスの講義もまた三十年前と変わらぬ魅力を保っている。(「気紛れな芸術のあれこれ」、pp.175-176)
ボルヘスがこの講義をメモの手助けなしに行ったことに先ず驚かされるが、考えてみれば、ボルヘスは既にほぼ失明状態だったので、メモを見ながら話すということは既に不可能だったのだ(「気紛れな芸術のあれこれ」、p179)。また、鼓直氏による「訳者あとがき」は「詩人」としてのボルヘスにフォーカスしながらボルヘスのキャリアを語り直した興味深い論攷。

さて、1か月以上も前に、鴻巣友季子『翻訳のココロ』*2を読了していた。


はじめに


第一部 ホンヤク棒高跳び
第0話   ホンヤク棒高跳び
第一話  女訳者は性根がわるいか(上)
第二話  女訳者は性根がわるいか(下)
第三話  棒高跳びとパスタの関係
第四話  訳者とマラソンランナー(上) 孤独編
第五話  訳者とマラソンランナー(下) 駆け引き編
第六話  ホンヤク二人羽織(上) 漁師が網を打つ
第七話  ホンヤク二人羽織(中) ホンヤクの踊り方
第八話  ホンヤク二人羽織(下) 翻訳者はドン・キホーテ
第九話  ほりだしものの話(上) 彫刻とホンヤクの関係
第十話  ほりだしものの話(下) ホンヤクそろばん勘定

嵐が丘コラム1 他人の天国じゃ俺にはなんの有り難みもない

第十一話  嵐が丘巡礼行(その1) ホンヤク者、見てきたような嘘をつき?
第十二話  嵐が丘巡礼行(その2) 愛はインフレする
第十三話  嵐が丘巡礼行(その3) 四マイルが語ること
第十四話  嵐が丘巡礼行(その4) ホンヤク者、荒野であられもない想像をする
第十五話  嵐が丘巡礼行(その5) ホンヤク者、谷間で決心する
第十六話  ホンヤク・ワイン道場破り(1) 似たもの同士とお見受けします
第十七話  ホンヤク・ワイン道場破り(2) 嵐が丘で、酒持ってこい1?
第十八話  ホンヤク・ワイン道場破り(3) 嵐が丘で、「とりあえずビール」!?
第十九話  ホンヤク・ワイン道場破り(4) What have to work so hard to be simple.
第二十話  ホンヤク・ワイン道場破り(5) ピリオドとカンマの間には何がある?
第二十一話  『嵐が丘』最後の日々(上) 翻訳とは恐ろしきものなり
第二十二話  『嵐が丘』最後の日々(中) 小指の記憶
第二十三話  『嵐が丘』最後の日々(下) ことばはどこからやってくる?

嵐が丘コラム2 古典が見せる新しさ

第二十四話 オランダの古池に蛙は飛びこめるか? 訳詩のココロ
第二十五話 文章の手ざわり(上) タイピストは手で名文を見分ける
第二十六話 文章の手ざわり(中) ピアノを弾く、ことばを挽く
第二十七話 文章の手ざわり(下) ホンヤクの華麗な弾き方
第二十八話 片思いの専門家


第二部 翻訳対談 柴田元幸氏と


あとがき かぼちゃの性根、海鞘のココロ
翻訳のココロ後日談 文庫版あとがきに代えて
解説(近田春夫

翻訳のココロ (ポプラ文庫)

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