あと、パブ・ロックもとか

http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080723/1216831854
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080724/1216913948
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080725/1216998625
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080726/1217089480
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20080727/1217251816


パンク・ロックの歴史。すごく興味深いのだけれど、英国のパンクの系譜では、マルコム・マクラレンが米国から輸入したというほかに、パブ・ロックの系譜というのが重要だと思う。ベーシストのニック・ロウの一派というかスティッフというインディーズ・レーベルの周辺にいた連中。例えば、初期のエルヴィス・コステロとか。あと、イアン・デューリーという人もいたし、エディ&ホット・ロッズというバンドもあった。この連中が憧れていたのは米国のフォーク・ロックで、だから一面では英国のパンクの源流のひとつはボブ・ディランザ・バンドということになる。フォーク・ロックとパンクの繋がりはこれだけじゃなくて、ジョニー・ロットンニール・ヤングのファンだということを公言していた。基本的に英国の70年代と80年代の音楽は1960年代の米国音楽の影響が強いわけで、1980年代には寧ろ1960年代のブラック・ミュージック、リズム&ブルースやファンクへの愛が前面に出ていたのに対して、1970年代のうちは白人的なフォーク・ロックへの憧れが前面に出ていたというべきか。
それから、muffdivingさんがジャムに言及しないのはちょっと解せない。奴らこそ、英国のラモーンズという感じがしないでもない。因みに、ポール・ウェラー左傾化するのはジャムを解散して、スタイル・カウンシルを結成したあたりからじゃなかったかと思う。ストラングラーズはジャン=ジャック・バーネルがケイト・ブッシュに横恋慕して見事に振られてしまったということで、ケイト・ファンの記憶には留められている筈。
これからもmuffdivingさんのエントリーは続くようなので、これから言及されるのかも知れないけれど、1980年代になると、倫敦の音楽シーンは商業主義が回帰して、ニュー・ロマンティクス、或いはデュラン・デュランカルチャー・クラブが出てくる。パンクは倫敦よりもマンチェスターに中心を移してくるのではないかと思う。特に、ファクトリー・レコードとか*1。それから、日本の「頭脳警察」と「外道」は私の中ではハード・ロックという位置づけなのですが、1970年代のバンドでパンクの源流ということでは、「紅蜥蜴(リザード)」を挙げておきます。それから、近田春夫先生か。