奈翁によって?

高橋和夫*1NATOとロシアの脅威認識ギャップ(3)」https://ameblo.jp/t-kazuo/entry-12731510797.html


この度の露西亜によるウクライナ侵略*2は皮肉にも(露西亜が嫌っていた筈の)NATO東方拡大に正当性を与えてしまったように見える;


ロシアは、NATOの拡大を脅威と見なしている。しかしながら、反対側から見れば、つまりロシア周辺諸国から見れば、同国の方が脅威である。帝政ロシアの時代に、あるいはソ連の時代に、この国と戦ったり占領されたり領土を奪われたりという経験をしているからである。冷戦の終結まで東欧諸国の大半がソ連の実質上の支配下にあった。またソ連の崩壊まではウクライナバルト三国ベラルーシコーカサス諸国、中央アジア諸国は同国の一部であった。


一方でロシア人に侵略された記憶があれば、他方で周辺諸国にはロシア人支配下での苦い体験がある。しかも、ロシアは5千発の核兵器保有する軍事超大国である。この国が、NATOの拡大で脅威にさらされるという認識は周辺諸国では希薄である。


この巨大なロシアの存在自体が、ある意味では周辺諸国には脅威である。おとなしくしているように見えても、このロシアという熊は、いつ乱暴になるか知れない。そうした思いが、周辺諸国NATOへの加盟へ突き動かしてきた。アメリカが提供する安全保障の傘の下に身を置くためにである。2022年2月のウラジミール・プーチン大統領ウクライナ攻撃が、東欧諸国のNATO参加という決断の正しさをある意味では証明した。少なくとも2022年3月段階では、ロシア軍はウクライナを越えての攻撃は行っていない。またアメリカは、NATO未加盟のウクライナに支援は与えた。しかし、ウクライナのためにアメリカ軍がロシア軍と戦うことはなかったからだ。

一方、露西亜には「繰り返し侵略を受けて来た」という「被害者」意識があるという;


NATOとロシアの脅威認識ギャップ(1)」https://ameblo.jp/t-kazuo/entry-12731506381.html


曰く、


現代のロシアを大きく規定する経験は第二次世界大戦である。当時はソ連であった。このソ連は1939年9月の第二次大戦の開戦時にはナチス・ドイツと不可侵条約を結んでいた。そしてドイツと共にポーランドを分割した。しかし2年後の1941年6月に、そのドイツがソ連を奇襲した。ナイフでバターを切るようにと表現されたドイツ軍の快進撃で戦争が始まった。しかし冬になるとソ連軍が反撃に出てモスクワの前面でドイツ軍の前進を止めた。その後、ソ連軍は多大の犠牲を払いながら反攻に出た。そして、ついには1945年5月にドイツの首都ベルリンを陥落させて第二次世界大戦の勝者となった。この勝利のために二千万人以上の国民が犠牲となったとロシアは主張する。よく使われる数値は2600万人とか2700万人である。どちらの数字にしても途方もない犠牲である。この戦争の経験は今も深くロシア人の心理に刻まれている。毎年5月にロシア各地で対独戦勝記念パレードが行われる。二度とロシアに対する侵略を許さないとの決意を新たにする儀式である。


第二次世界大戦では、ドイツの奇襲にもかかわらず、既に述べたようにソ連は何とか首都モスクワを死守した。しかし19世紀のフランスとの戦争では、ロシアは、そのモスクワさえ放棄している。1812年6月、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトは大軍を率いてロシア遠征を開始した。優勢なフランス軍との勝ち目の薄い正面衝突を避け、ロシア軍は国土を焦土にしつつ後退した。家を焼き、井戸を埋めながらの撤退であった。フランス軍にロシアの国土を利用させないためである。そして前述のように首都モスクワさえ放棄した。


やがて冬になると「冬将軍」と呼ばれるロシアの厳しい寒さがナポレオンのフランス軍を襲った。補給が途切れ動きのつかなくなったフランス軍をロシア軍が攻撃した。ナポレオンの軍隊は壊滅し、ロシア軍はパリにまで進撃した。

私の理解するところでは、ナポレオン・ボナパルトによる侵略(革命の輸出)によって、ヨーロッパ各国のナショナリズムが覚醒され、〈国民〉としての意識が構築されていった。独逸でも西班牙でも伊太利でも。極端なことを言えば、ヨーロッパにおいて〈国民〉というのはナポレオン(とそれに対する抵抗)によってつくられたと言える。多分、露西亜も例外ではなかったのだろう。ところで、このナポレオンとの戦いが〈露西亜国民の物語〉として語られ・教えられ・共有されるようになったのは何時頃なのだろうか。当時の露西亜の農民からすれば、侵略してきた仏蘭西兵よりも自分たちの「家を焼き、井戸を埋め」た露西亜兵の方が酷い奴らだと感じた筈だ。