「商店街」はそんなもの

羽田圭介*1羽田圭介の地名と作品 『高円寺純情商店街』」『ふれあいの窓』(東京都交通局)305、p.12、2020


中央線高円寺駅北口の商店街である「高円寺純情商店街」。ねじめ正一の小説『高円寺純情商店街』からその名前を取る。フィクションの現実化。
羽田氏曰く、


高円寺純情商店街』は一九六〇年前後の高円寺*2を舞台としており、主人公の少年は乾物屋の息子で、ひたすらかつお節作りや配達を手伝っている。フィクションだという前提があっても、作中に出てきたような店は今の商店街にはない。ずっと昔からあるのは三菱UFJ銀行くらいだろうか。今多くあるのは、ドラッグストアとか、短いスパンで入れ替わる飲食店等だ。

高円寺純情商店街は今や、チェーン店等、すぐ入れ替わってしまいそうな店だらけになった。当然だともいえる。街は、今を生きる人たちによる必然性で、変わり続けるのだから。
街は変わるものの、その街にずっと在り続け変わらないものもある。毎年夏に開催される高円寺の阿波おどりを、見たことがある。本場徳島の阿波おどりを真似た高円寺の阿波おどりは歴史が浅いようなイメージをもつ人も多いが、戦後すぐの一九五〇年代から続けられている。『高円寺純情商店街』で描かれた風景のもっと前から、阿波おどりは各連により黙々と受け継がれてきた。色褪せた商店街の看板とは異なり、毎年夏に披露されるその伝統的な踊りから、古さは感じない。
「チェーン店等、すぐ入れ替わってしまいそうな店だらけにな」るというのはどの商店街でもそうだろう。そういう新陳代謝が困難になった先にあるのは所謂シャッター商店街*3という事態だろう。或いは、古い建物が壊されて更地になっても新しい建物が建たずに月極駐車場になったり、商店街なのに住宅(マンション)が建ったり。