AKA 今田勇子

取敢えず、他者の言説を貼り付けておく。
『読売』;


連続幼女誘拐殺人事件、宮崎勤死刑囚に死刑執行


 法務省は17日、1988〜89年に幼女4人が殺害された連続幼女誘拐殺人事件で誘拐、殺人などの罪に問われ、死刑が確定した宮崎勤死刑囚(45)の死刑を東京拘置所で執行した。

 宮崎死刑囚は1988年8月、埼玉県入間市で幼稚園児(当時4歳)を車で連れ去り、東京都五日市町(現あきる野市)内の山林で絞殺。

 さらに、同年10月には埼玉県飯能市で、小1の女児(当時7歳)を、同年12月には、同県川越市で幼稚園児(当時4歳)を、89年6月には東京都江東区で保育園児(当時5歳)を、それぞれ車で連れ去って殺害し、遺体を捨てるなどした。

(2008年6月17日10時18分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080617-OYT1T00291.htm

『産経』;

奇行の数々…真相は“闇”のまま 宮崎勤事件
2008.6.17 11:09


 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)に17日、死刑が執行された。事件を通じて女児への執着心、アニメなどのビデオテープが大量に積み上げられた自宅の様子が明らかになり、当時はまだ物珍しかった「ロリコン」「オタク」といった言葉が世間に広まるきっかけともなった。逮捕後もこうした“奇行”ぶりは変わらず、弁護人らとの接見でも奇妙な言動を繰り返し、社会を困惑させ続けた。

 宮崎死刑囚が犯行当時住んでいた自宅は、東京都五日市町(現あきる野市)にあった。自室は母屋の横にあった「離れ」。その中には、6000本ものアニメや特撮もののビデオテープがあった。この自室で東京都江東区の幼女の遺体をのこぎりで切断し、自宅裏庭で埼玉県入間市の幼女の遺体を焼いた。

 父は印刷工場を持ち、月4回発行の地元紙を発行する裕福な家庭だったが、その父は平成6年1月に「疲れた」と遺書を残し川に投身自殺。宮崎死刑囚によって殺害された4人の幼女だけでなく、自身の家族までもが事件の犠牲となった。

 自らの事件によって周囲に起きた不幸も、宮崎死刑囚にとっては「どこ吹く風」だったのだろうか。父が自殺したことについては法廷で「死んでくれてスッとした」。弁護人との接見では、「何人かの人が自分をいじめる相談をしているのが聞こえる。『針で(死刑囚の)目を指すのは自分がやる』と話し合っている」と幻聴を訴えたり、独房で「うぉ、起きろ」と突然、大声を上げたりすることもあったという。

 いずれも「奇行」にも受け取ることができる行動だが、自身の「無罪」だけは強く主張していた。月刊誌の編集者や心理学者などと手紙のやり取りを続け、「自分は無罪」と記し、死刑判決確定後に面会した臨床心理士に「何かの間違いです。そのうち無罪になります」と語った。

 無罪を訴える一方で、奇妙な言動を繰り返した宮崎死刑囚。どちらが本当の宮崎死刑囚だったのか。最後まで真の「心象風景」は判然としないまま、死刑場で45年の生涯を閉じた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080617/trl0806171110002-n1.htm

『毎日』は1989年の記事を再掲載している;

女児殺害で宮崎起訴 別の女児事件で10日前後に再逮捕(89年9月2日付)

 東京都江東区の女児(当時五歳)誘拐殺人事件で、東京地検は二日午前、逮捕・拘置中の印刷業手伝い、宮崎勤(27)=西多摩郡五日市町小和田=を未成年者誘拐、殺人、死体遺棄・損壊罪で東京地裁に起訴した。宮崎の起訴は、八王子市での強制わいせつ事件に次いで二件目。東京、埼玉両都県にまたがる連続幼女誘拐殺人事件で宮崎はこのほか三人の殺害を自供しており、埼玉県警が近く入間市の別の女児(当時四歳)誘拐殺人事件で宮崎を再逮捕、身柄を同県警狭山署合同捜査本部に移し、犯罪史上例のない連続幼女殺害事件の全容解明を進める。

 起訴状などによると、宮崎は六月六日午後六時ごろ、東京都江東区東雲の都営アパート前路上で、会社員(37)の長女(当時五歳)=同区立保育園=に「写真を撮ってあげる」などと声をかけて自分の車に誘い込み、路上に止めた車の後部座席で首を絞めて殺害。その後遺体をトランクに移し、杉並区高円寺南のビデオレンタル店からビデオカメラを借りて帰宅。自宅離れの自室でビデオやカメラで遺体を撮影した後の同八日夜、ノコギリとナイフで遺体の頭部、手首、足首を切断。同十日になって胴体部分を埼玉県飯能市宮沢湖霊園に、頭部、手足首を自宅裏山に捨てた。頭部はその後持ち帰り、同月下旬、西多摩郡奥多摩町梅沢の山林に捨てた。

 宮崎はこれまでの調べに対し、犯行の動機について「死体にいたずらするために殺害した」と供述。初めから誘拐して殺したうえで、いたずらするわいせつ目的の計画的犯行だったことを認めている。一方で宮崎は「体が不自由で結婚できず、殺せば好きな女の子をそばに置いておける」とも供述。このため東京地検は、コンプレックスを背景にした異常心理による性犯罪が殺人につながった、との見方を強めている。

 宮崎は七月二十三日、八王子市内で小学一年と同四年の姉妹に近づき、妹(6つ)を裸にして写真を撮り強制わいせつの現行犯で逮捕された。取り調べ中に江東区の女児殺害を自供。自供に基づき捜索したところ、奥多摩山中から幼女の頭部が発見されたため八月十日、警視庁・埼玉県警合同捜査本部が誘拐、殺人、死体遺棄容疑で逮捕した。その後の調べに対し宮崎は入間市の女児のほか、川越市の女児(当時四歳)の殺害を自供。さらに飯能市の女児(同七歳)の殺害も一部自供した。

 =◇=

 宮崎勤の起訴後の身柄は、埼玉県警が一連の幼女誘拐殺人で再逮捕、同県警に移監する方針が二日までにほぼ固まった。同県警では、週明けの四日にも宮崎が引き続き拘置されている警視庁・深川署に捜査員を派遣し証拠固めの取り調べを始め、十日前後に再逮捕に踏み切りたいとしている。

 同県警は再逮捕までの取り調べで、殺害の上申書の裏付けや、警視庁が宮崎宅などから押収した証拠物を検討、再逮捕後に本格的な取り調べをする。また、宮崎が殺害を自供しただけで犯行を裏付ける物証の見つからない飯能市の女児事件についても聴取する方針。

 この取り調べで、容疑が固まった事件については逮捕令状を請求、順次再逮捕する考えだ。だが、捜査当局は早急な取り調べはせず、確実に証拠固めをしたいとしているため再逮捕の時期は十日以後にズレ込みそう。

 物証の多い入間市の事件の再逮捕が優先されそうだが、他の事件でも調べの進み具合によっては入間市の事件よりも早い再逮捕は可能としている。

 ※この記事は事件当時の新聞記事を転載しております。容疑者の呼称を付けないなど、現在と表記が違っておりますが、ご了承ください。
http://mainichi.jp/feature/sanko/news/20080617org00m040002000c.html

吊るされる以前に、既に〈幽界〉へ行ってしまっていたかのよう。ところで、死刑制度では吊るして、心臓が止まった瞬間に〈おつとめご苦労さんでした〉ということで責任は解除される。しかし、宮崎には吊るされる以上に重要な責任があった筈で、それは全く果たされていない。例えば借金ならば相続人が払うということになるのだろうけど、この責任は相続不可能である。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080425/1209146803 ただ、そこで言及しているmojimojiさん*1とは少し違って、今念頭に置いているのはもっと主知主義的な事柄だ。