「魚雷」という人

金井悟「働かない、訳でもない。文筆家・荻原魚雷が高円寺で実践する「半隠居」のほんとうのところ」http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2017092037371.html


荻原魚雷」という名前はずっと知っていたのだけど、写真を見たことはなく、年齢はおろかジェンダーさえ知らなかった。この記事を読んで、男性だということは取り敢えずわかった。
少しメモ。
「高円寺」*1を巡って;


――これまでのエッセイでは、高円寺の飲み屋と喫茶店、神保町の古本屋を日々巡っていると書かれています。上京されてから、ずっと高円寺にお住まいなのでしょうか。

 大学1年のゴールデン・ウィーク明けぐらいからライターの仕事を始めましたが、同業の友だちも中野から吉祥寺の間に住んでいて、夜遅くまで開いているお店もいっぱいある。なによりも、西部古書会館に毎週歩いて行けるというのが大きかった。ここは、軽い貧乏ぐらいだったら、相当居心地のいい街です。ボロボロの服にサンダル履きでも何も言われないし、電気や水道が止まっても笑い話にできる空気があります。


――都心は便利な分、スピード感も速い。そうした環境で、いかにしてゆっくり怠けて暮らすのかについても伺えればと思うのですが。

 東京は近所付き合いとか、人間関係のわずらわしさが少なくて済むのかなとは思います。日本のいろいろな場所を旅行しましたが、東京以外で“半隠居”しようと思ったら人口30万人ぐらいの都市がいいというのが僕の実感です。

 京都の左京区だったらこの辺(高円寺)と似ていますし、やはり学生街はいいのかもしれないですね。国立大学がある地方都市は安い下宿やアパートも残っていて、学生向けの安いお店もいっぱいある。古本屋と銭湯があるかどうかも、怠けたい人の住み心地の良さの目安になると思います。

ところで、

中央線文士(中央線沿線に住んだ作家たち)のエッセイなんかを読むと、本当に仕事をしてないんですよ。半年かけて30枚の原稿を書いて、お金が無いから夏の間は冬物のコートを質屋に預けて暮らしていたりして。もちろん今はそんな暮らしもできないと思うけど、そういう時代があったと知っているだけでも気持ちは楽になります。同時代にはヒロポンを打ちながらものすごい枚数の原稿を書いていた作家もいるけど、その人たちが幸せになっているかと言ったらわからないですよね。
「中央線文士」というと先ず想起するのは高円寺ならぬ荻窪に住んでいた井伏鱒二だけど*2、「ヒロポンを打ちながらものすごい枚数の原稿を書いていた作家」って誰?