慶應義塾本

NHKの報道;


論語」現存最古とみられる紙の写本見つかる 7日から公開
2020年10月7日 11時09分


古代中国の思想家、孔子の教えをまとめた「論語」の現存最古とみられる紙の写本が見つかり、専門家は「原本の姿をうかがううえでも貴重な資料だ」と話しています。

論語は今から2500年ほど前の中国の思想家、孔子のことばや行動をまとめた書物で、「温故知新」や「四十にして惑はず」などのことばが記されています。

見つかったのは、論語の本文に注釈がつけられた「論語義疏」と呼ばれる書物の写本の一部で、慶應義塾図書館が3年前に古書店から購入し、7日から公開を始めました*1

研究グループが調査を進めたところ、文字の形や紙の材質から6世紀ごろ中国で書かれたと考えられ、その後、日本にもたらされて、平安時代には藤原氏が所蔵していたとみられることなどが分かりました。

論語の写しは竹に書かれた「竹簡」が中国や北朝鮮で出土していますが*2、紙に書かれた写本としては現存する最古のものとみられるということです。

調査に当たった慶應義塾大学の佐藤道生名誉教授は「人から人に伝わってきたものとしては大変古く、奇跡的に残っていて驚いた。論語の原本の姿をうかがううえでも貴重な資料で、これまでに見つかっているほかの写本と比較しながら原本の姿を明らかにできる」と話しています。

この写本は、今月13日まで東京 千代田区の「丸善 丸の内本店」で展示されています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201007/k10012651561000.html

さて、『論語義疏』*3を巡っては、棋客「慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について」*4から少しコピーしておく;

論語』をはじめとする「経書」と呼ばれる古典群は、中国で伝統的に最も重視されてきたものです。経書は、重視されるがゆえに、さまざまな人々によって繰り返し新しく解釈されながら、次の時代へと伝わっていきました。こうして作られた本を「注釈書」と言います。注釈によって、学者が自分の考えを示しているわけです。

 注釈書も、時代が進むにつれて様々な種類が現れてきます。まず、後漢から魏晋の頃にかけて、馬融、鄭玄、何晏といった人々が経書の本文に対して「注」を作りました。

 徐々に注が定着し数を増してくると、今度は経書の本文と注の両方を踏まえて、それらに対して再度解釈を施すようになります。これが「疏」「義疏」で、そのうち梁の皇侃が作ったものが『論語義疏』と呼ばれています。

 義疏は南北朝時代に多く作られましたが、唐代にこれらを総合して『五経正義』という国定の疏が成立すると、そのほとんどが姿を消してしまいました。古い成果を吸収して新しい本が作られた後、もとの古い本が滅びてしまう、というのは常見される現象です。

 しかし、義疏が滅びてしまうと、現代のわれわれが経書に関する学問(経学)を研究しようとするとき、南北朝時代が全く空白の時代になってしまうのです。よって、たとえわずかでも、この時期の著作のそのものが残っていたならば、研究上たいへん大きな意味を持つことになります。

See also


hirodaichutetu「慶応大蔵『論語義疏』巻六について」https://hirodaichutetu.hatenablog.com/entry/2020/09/28/072154