吉祥寺ではなく高円寺(多分)

高橋有紀「フーテンみたいな暮らしだった学生時代 俳優・片桐はいりさん」http://www.asahi.com/and_w/articles/SDI2018022336441.html


これは成蹊大学のPR記事。
片桐はいりさん*1安倍晋三の後輩だったのか。
ところで、思い出したのだけど、私は片桐はいりさんに直接話しかけられたことがあるのだった(多分)。1980年代半ば頃だけど、吉祥寺ではなく高円寺の或る小さな劇場の高取英*2が主宰する月蝕歌劇団*3の芝居を観に行って、上演前だったか上演後だったかは忘れたけれど、ロビーで煙草を吸っていたら、私と同年代の女性が近づいてきて、煙草嫌いだからここで吸わないで! と言った。その後、今の、片桐はいりだったんじゃないかと思った。彼女は当時既に小劇場の世界ではそこそこ有名な女優だったので、名前と顔は知っていたのだった。彼女がアルバイトしていた「銀座文化(現・シネスイッチ銀座)」という映画館にもよく行っていたのだが、そこで姿を見たことはなかった。それで、また思い出したことがある。以前、


大学に入って3か月くらい経った頃、銀座の裏通りをぶらついていて、或る画廊を覗き込んだら、エロいのだけどクールでエレガントな油絵に惹き付けられた。金子國義さんの個展だった。「金子國義」という名前を知ったのはそのときが初めてだった。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150317/1426623462
と書いたことがあったのだが、これは「銀座文化」で映画を観た後だった。その「画廊」も「銀座文化」と同じ通り。そのとき観た映画はルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』*4だった。なお、(今のところ)「シネスイッチ銀座」でいちばん最後に観た映画は『かもめ食堂*5
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さて、私も「ふつう映画は2本立てで観るものだと思っていました」;

あの頃、なんであんなに映画を観る時間があったのかわからないです。3本立てとかの映画もばんばん観てたわけで。というか、ふつう映画は2本立てで観るものだと思っていました。

 今は2本立て観る時間をあけるって、結構な労力ですよ。私が年取ったから、っていう問題じゃない気がします。世の中の時間の使い方なのかな。こんなに2本立て観るの大変だったっけ?って思いますもん。だってその頃も学校のテスト勉強もしてるし、劇団も演劇だけしてるわけじゃなくて、チラシ刷って配ったり衣装縫ったり。さらにバイトもしていた。

 あ。わかった。当時は携帯がなかったんです。携帯もパソコンもない。気持ちにすごく余裕がありました。だっていま2本立て観てたら、その間にもばんばん予定が入ってくるわけじゃないですか。いまもこうやって携帯にどんどんメールが入ってくるように。

それもあるけれど、1980年代前半だと、まだまだヴィデオが一般にはそれほど普及していなかったのだった。(バブル期と重なる)80年代後半になると、急速にヴィデオ・レコーダーが普及して、みんなとても消化しきれないほどの録画を抱え込むことになる。また、ヴィデオの普及により、古い映画は「2本立て」の名画座ではなく、ヴィデオをレンタルして観るというふうになった。また、「日活ロマンポルノ」というジャンルの死。
ところで、「フーテン」というのは、80年代に車寅次郎についてくらいしか、既に使われていなかったと思う。