『古今』など


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君といえば君が代ですね :)

日本政府が公認している「君が代」の英訳は”Emperor's Reign”であるようですが、そうすると、「君」は二人称なのか三人称なのかという問題が出てきますね。古今集のヴァージョンでは

わが君は千世にやちよに さゞれ石の巖となりて苔のむすまで
ですが(343、「賀歌」、p.95)、祝福という儀礼的パフォーマンスが意識されている場合は二人称、パフォーマンスの現場から切り離されると、二人称性が忘却され、三人称性が純化されていくという感じでしょうか。
ところで、『古今集』では「きみがよ」を含む歌がとても少ないということに気づきました。

1004 君が世に逢坂山の岩清水 木隠れたりと思ひけるかな

830 血の涙おちてぞたぎつ 白川*1は君が世までの名にこそ有りけれ

1085 君がよは限りもあらじ 長浜の真砂のかずはよみつくすとも
これだけ。830は「哀傷歌」で、素性法師による藤原良房への挽歌。1004は「雑躰」に収められている。壬生忠峯。長歌に付せられた短歌。1085は「神遊びの歌」。意味としては、「千世にやちよに さゞれ石の巖となりて苔のむすまで」と同様のよいしょ系。『新古今』では「きみがよ」は一気に(?)9首に増える*2
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因みに、

きみがよは尽くるといへど
高空に
よみちを照らす秋の望月
は拙作で、中川昭一という政治家への挽歌。また、

君が代も千代に八千代はつづくまじ
心して聴け
岩けづる水
特に政治的意味(意図)はない*3
ところで、関西弁の「きみ」というのは標準語とは微妙にニュアンスが違うように思うのだけど、それを、どう違うのかと言葉で表現することは(私には)できない。