渡辺輝人の解釈

承前*1

同性婚姻と日本国憲法との関係についての安倍晋三の独自解釈を巡って。


渡辺輝人*2「安倍君、言葉を慎みたまえ」http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150220-00043202/


曰く、


一方、安倍首相は2月18日の国会答弁で「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と述べました(2月18日朝日新聞)。確かに憲法24条1項は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。 」としていて、婚姻は「両性」(男と女)がするものだという文言に読めます。しかし、この規定の意味は、旧民法で結婚について親の許可が必要だったことを改め、カップル相互の同意のみで結婚できるようにしたことに意味があります。憲法は国民が国に対して有する権利の章典なので、憲法ができた当時、同性婚が想定されていなかったとしても、憲法同性婚を否定したり、抑制的な態度を取っているとは到底思えません。有名な憲法の注釈書を読んでも、憲法24条のところには「同性婚の許容性」という項目すら存在しません。許容されて当然だからです。また、フランスがそうだったように、同性婚を認める前に、まず、同性間でも異性間でも利用可能なパートナー同士の相互扶助契約を立法することも可能でしょうし、そういうことを日本国憲法は何も否定しないはずです。

安倍首相の答弁は、憲法24条1項を「結婚は男と女しかできないんだ」という国民に対する義務規定だと捉えているようにも見えます。いずれにせよ、単に政策的にやりたくないだけのことを、日本国憲法のせいにする態度は法律家として許しがたいものがあります。

注目すべきは、「安倍首相の答弁は、憲法24条1項を「結婚は男と女しかできないんだ」という国民に対する義務規定だと捉えているようにも見えます」というところだろう。残念ながら、渡辺氏自身によっても深化されていないのだが、これこそ安倍の憲法観というか〈安倍晋三思想〉なるものの重要な要点のひとつであるといえるだろう。つまり、「立憲主義」の超克を妄想・策動する安倍にとって*3、そもそも「憲法」というのは権力を制限し「国民」の自由を制度化するものではなく、たんなる「国民に対する義務規定」でしかないわけだ。
なお、渡辺氏が上記のテクストの最初に言及している民主党玉木雄一郎に対する安倍晋三の「日教組」野次についての詳細は、


安倍晋三、国会で質問中の玉木雄一郎に「日教組日教組!」とヤジを飛ばし叱られる」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150220/1424391217
「「安倍批判」を自粛する新聞。これでは「報道の自由度」世界61位も当然」http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150221/1424483917


を参照されたい。