TV朝日の報道;
ネットの反応を見ると、野村克也という人*1はすごく愛されていた人という感じがする。星野仙一*2、衣笠祥雄*3、或いは金田正一*4といった人たちよりも。これは意外だった。
野村克也さん(84)死去 家政婦が自宅の浴槽で発見
2/11(火) 10:43配信テレ朝 news
元プロ野球選手の野村克也さんが亡くなりました。84歳でした。
警視庁などによりますと、11日未明、東京・世田谷区の野村さんの自宅から119番通報がありました。家政婦が浴槽の中でぐったりしている野村さんを見つけたということです。野村さんは病院に搬送され、その後、死亡が確認されたということです。84歳でした。野村さんは1954年にテスト生として南海ホークスに入団し、3年目からレギュラーに定着すると、現役27年間にわたって球界を代表する捕手として活躍しました。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王などその強打で数々の記録を打ち立て、不動の正捕手として南海の黄金時代を支えました。平成2年にヤクルトの監督に就任し、「ID野球」などデータを駆使した戦術を用いてチームを3回の日本一に導くなど手腕を発揮しました。先月に行われた金田正一さんをしのぶ会にも出席していました。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200211-00000011-ann-soci
津田大介氏*5曰く、
野村克也さんが自分のラジオ番組にゲストでいらっしゃった際に、ここぞとばかりにかつての出来事や発言などで聞きたいことを質問し、無事放送終わってエレベーターまで送るときの去り際に野村さんからボソッと「野球、お好きなんですねぇ……」と言われたのは一生の思い出。ご冥福をお祈りします。
— 津田大介 (@tsuda) 2020年2月11日
ところで、1980年代、ポストモダンな言説空間においては、蓮實重彦先生や渡部直己のイニシアティヴによってなのか、野球は特権的なトピックになっていた。その場合、お約束のように、長嶋茂雄と落合博満がプッシュされ、王貞治と野村さんがdisられていたのだった。ただ、その頃、落合さんは現役の選手、王はジャイアンツの監督、長嶋は無職、野村さんは評論家だった。野村さんは1954年以来、選手、監督、評論家として、野球に関わってきたわけだけど、どの局面に焦点を当てるかで、野村さんのイメージは変わってくる筈だ。ネットの反応で興味深かったのは、捕手や打者としての野村さんを語る人がとても少ないということだった。やはり野村さんのイメージというのはよきイメージにしても悪しきイメージにしても、1980年代の評論家時代、1990年代以降の監督時代のイメージということになるのだろうか。選手としての野村さんの全盛期というのは1960年代なので、それを知っている人も既に年老いており、何よりもホークスの属するパシフィック・リーグの試合は全然TV中継されないという構造的差別が長年に亙って自明視されてきたために、選手としての野村さんを見た人は(当時であっても)それほど多くなかったということなのだろうか*6。
『デイリースポーツ』の記事;
See also
野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った
2/12(水) 5:59配信デイリースポーツ
日本プロ野球史に残る活躍を残した野村さん。その影にあり、2017年12月に死去した妻・沙知代さん(享年85)との愛は、野村さんの野球人生までも大きく左右した。
1人目の妻と婚姻関係を続けていた1972年ごろ、野村さんは沙知代さん(当時は伊東姓)と出会い、交際がスタートした。野村さんは南海に在籍中の69年、34歳の若さで現役選手と監督を兼任。沙知代さんは実質的な“監督夫人”として振る舞うようになった。
77年9月25日、シーズン2試合を残して野村さんは「女性問題、公私混同」を理由に監督を解任された。沙知代さんの“専横”が問題視された結果だった。オーナーらに囲まれ、「野球を取るのか、女を取るのか」と詰め寄られた野村さんは「女を取ります。仕事はいくらでもあるが、伊東沙知代という女は1人しかいない」とキッパリ。会見でも沙知代さんをかばい続けた。
現役引退後、野村さんは90年からヤクルト監督に就任し、リーグ優勝4回、日本一3回の結果を残した。沙知代さんにもスポットが当たり、メディア出演が急増。夫妻は94年に、第1回「ナイス・カップル」に選出された。96年に沙知代さんが衆院選に出馬した際には、野村さんも応援演説に立った。沙知代さんのメディア出演は続き、99年には“サッチー・ミッチー騒動”を起こした。
野村さんが阪神監督当時の2001年には沙知代さんが脱税事件で有罪判決を受けた。事件を受け、監督を辞任した野村さんは「嫁の問題で監督を2度もクビになっているのは、世界中探しても私ぐらいだろう」と話したものの、「老後の蓄えを、と始めたこと」と沙知代さんをとがめることはなかった。
楽天監督時代の09年には沙知代さんが作詞したシングル「女房よ」を発売。夫妻はいつでもラブラブだった。
沙知代さんが亡くなった際、野村さんは最期の瞬間まで手を取り、みとったという。その後は、自宅には至る所に沙知代さんの写真を飾り「これからどう生きていけばいいのか。男の弱さを感じてます」とさみしさを隠さなかった野村さん。くしくも、死因は沙知代さんと同じく、虚血性心不全。二人三脚の人生は2年あまりの時間差を経て、完結した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200212-00000007-dal-ent
田内隆弘「「これ以上ないパートナー」 世間で悪妻とされた沙知代さんと野村克也さんの夫婦愛」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200211-00000049-mai-base
野村克也、阿川佐和子*7「サッチーに携帯電話を5個も折られて……野村克也さんが阿川佐和子さんに語った夫婦の話」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200211-00033578-bunshun-spo
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170321/1490068443 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180127/1516979477 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/23/233309
*2:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180116/1516122979
*3:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180426/1524703129 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20181019/1539915094
*4:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/07/091325
*5:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20160418/1460945815 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161203/1480790613 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170328/1490666531 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/01/23/103401
*6:See 豊浦彰太郎「どうして野村克也の現役時代を語る人が少ないのか?」https://news.yahoo.co.jp/byline/toyorashotaro/20200211-00162654/
*7:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20131022/1382369352 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161114/1479130548 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170517/1495026199 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20170518/1495075057