実在し得ない書物

中村邦生「幻の稀覯本」『究』(ミネルヴァ書房)102、2019


曰く、


東欧のどこの古書店の話であったか、実在しない本の注文ばかりする顧客がいて、毎週のように「入りましたか?」と聞きに現われる。店主も心得ていて、「珍しい本なので、入手に時間がかかります。もう少しお待ちください」と応じる。すると相手は新たな探求本を依頼する。この客が注文した幻の稀覯本のリストを見てみたいものだ*1
また、

先の架空の本ばかり注文をする客の話にしても、店主はもう少し洒落っ気があってもよかった。一冊くらい古色蒼然とした本を捏造し、「ついに見つけました」と大金を吹っかけて、客を驚愕させるとか。
もう少し引用を続ける。

実在しない書籍の目録を作成した作家として名高いのはラブレー*2。『ガルガンチュアとパンダグリュエル物語』第二乃書・七章に出てくる。当時の無知な神学者や哲学者たちを諷刺し、嘲笑するためにサン・ヴィクトール図書館の架空の蔵書目録を作ったのだ。揶揄の対象への知識がなければ笑えないが、それでも『司祭のお愛想菓子』、『スコットゥス博士の珍文漢文』、『未亡人の禿尻』といった渡辺一夫の訳文を見るだけでも楽しい。

こうした話となれば、あらゆる書物の完全な要約となるたった一冊の本が存在するというボルヘスの「バベルの図書館」(『伝奇集』*3)にことごとく包摂されてしまう気がする。それでも、忘れがたい架空の本として、ラブレーにもボルヘスにも言及しているスタニスワフ・レム*4の『完全な真空』を挙げないわけにはいかない。SF、パロディ小説、科学論、宇宙論など一六さつの実在しない本の架空の書評集で、小説の可能性をユーモラスに実感させてくれる。