「訳者」、実は

若島正*1「スキャンダラスな裏文学史」『毎日新聞』2021年10月9日


川本直『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』の書評。


『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』という題名を見て、ただちに思い出されるのは、ウラジミール・ナボコフの『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』である。そして、ナボコフの小説がセバスチャン・ナイトという架空の作家の伝記という体裁を借りていたように、本書もジュリアン・バトラーという架空の作家の伝記という形をとり、さらにそれを川本直が翻訳したという二重の仕掛けが施される。書物の背後に現実の書物と架空の書物があるあるという趣向を作者は隠そうともしない。
(略)『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は前例のない小説である。なぜなら、ここで描かれるジュリアン・バトラーは実のところ真の作家ではなく、つねに彼のそばにいてゴースト・ライターを務めている人間がいるからだ。その本人で、ジュリアン・バトラーではない別の覆面作家として新しい生を生きていたジョージ・ジョンが、覆面を脱いで真実を明かしたのが『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』であり、それは暴露というよりは告白になる。

本書を貫くのは、同性愛者たちによるスキャンダラスな二十世紀文学史である。ここで名前が挙がっている文学者たちの大半は同性愛者であり、その事実は彼らが生きているあいだには噂にはなりこそすれ公然と靴に出されることはなかったが、そうした作家たちは言及されるだけでなく、登場人物として本書の中で自由に動きまわる場所を得ている。その意味で、本書には裏文学史についてまわる陰はない。陰を背負っているのは、自らも同性愛者でありながら、それを公言できないでいたジョージ・ジョンだけだ。

訳者あとがきという体裁で添えられた、巻末の「ジュリアン・バトラーを求めて」は、著者の川本直が翻訳者の仮面をかぶりながら、A・J・A・シモンズの『コルヴォ―を探して』のひそみに倣う体験記を虚構化したもので、本書の核と呼んでよい。自由奔放を包み隠さない「生きる人」ジュリアン・バトラーを、「書く人」ジョージ・ジョンは真に愛していた。彼は『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を書くことによって、その中で共に永遠に生きようとする。やはりスキャンダラスな性愛を扱ったナボコフの『ロリータ』*2を想起させるこの結末には、感動を覚えずにはいられない。