プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』

天使の蝶 (光文社古典新訳文庫)

天使の蝶 (光文社古典新訳文庫)

先週プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』(関口英子訳)を読了。


ビテュニアの検閲制度
記憶喚起剤
詩歌作成機
天使の蝶
《猛成苔》
低コストの秩序
人間の友
《ミメーシン》の使用例
転換剤
眠れる冷蔵庫の美女――冬の物語――
美の尺度
ケンタウロス
完全雇用
創世記 第六日
退職扱い


解説――ケンタウロスの疾走、蝶のはばたき(堤康徳)
プリーモ・レーヴィ年譜
訳者あとがき

1966年に出たプリーモ・レーヴィの短篇集。オリジナル・タイトルのStorie Naturaliは、直訳すれば『自然の物語』或いは『博物誌』ということになるか。ジャンル分けをすれば一応SFということになるのだろうけど、エピグラフに引かれたラブレーの『ガルガンチュア物語』*1プリニウスの『博物誌』を引きながら、「ユピテルの腿から生れた」バッコスやら「ユピテルの脳のなかから耳を通って生れた」ミネルヴァといった「奇怪で自然に反する様々な出産」を語っているように、こちらも様々な「奇怪」な(虚構的)事実を記述した『博物誌』と言えるのかも知れない。収録された15篇はどれも面白いのだが*2、種と種の間の〈越境〉(境界の曖昧化)を描いた作品が目についた。「ケンタウロス論」は言うまでもない。さらに「《猛成苔》」では自動車に性別が生ずる。「人間の友」ではサナダムシがその「表皮を構成する細胞の配列」によって〈文学〉を綴る。「完全雇用」では人間と蜜蜂とのコミュニケーション、蜜蜂を介した人間と蟻とのコミュニケーション、そして契約関係が描かれる。また「創世記 第六日」では、人間が魚類、両棲類或いは鳥類であったかも知れない可能性が描かれる。「低コストの秩序」では〈オリジナル〉と〈コピー〉の境界の曖昧化が描かれているといえるし、「苦痛」と「快感」の反転を描く「転換剤」もカテゴリー間の〈越境〉だといえるだろう。こうした様々な境界の曖昧化の神話的(原型的)なイメージは「ケンタウロス論」の中の「ケンタウロス」の起源を語る一節である;

ケンタウロスの起源は、伝説にまでさかのぼる。彼らのあいだで語りつがれている伝説は、僕らが古典と見なしているものとはかなり異なる。
興味深いことに、彼らの伝承においても、大いなる叡智の主、創造者であり救済者でもあるノアが、すべての始まりであるとされている。ただし彼らのあいだでは、ノアではなくクトゥノフェセトと呼ばれる。このクトゥノフェセトの方舟には、ケンタウロスは乗っていなかった。とはいえ、「すべての種類の清き動物のなかからオスとメス七番ずつと、不浄の動物のなかからオスとメス一番ずつ」乗っていたわけでもない。ケンタウロスの伝承は、聖書より合理的なもので、鍵となる、より原型に近い種だけが救われたとされている。人間は救われたが猿は救われず、馬は救われたがロバやアジアノロバは救われず、ニワトリとカラスは救われたがハゲワシやヤツガシラやシロハヤブサは救われず……といった具合だ。
では、これらの種はいかにして誕生したのか? それから間もなく……、と伝説では語られている。水がひくと、大地は熱を持った泥の、厚い層に包まれた。この泥の層では、洪水で滅びたあらゆるものが発酵し、腐敗物となって堆積し、かぎりなく肥沃な状態にあった。そして、陽光が触れたとたん、あたり一面が芽吹き、ありとあらゆる種類の草や木が生えたのだ。それだけでなく、柔らかく湿ったその懐では、方舟によって救われたすべての種の婚姻がおこなわれた。それは、空前絶後の狂おしく滾った受胎の季節であり、世界があまねく愛を謳歌し、ふたたび渾沌に戻ってもおかしくないほどだった。
そのとき、大地までもが天空と姦淫し、あらゆるものが芽生え、実を結んだ。婚姻という婚姻が子宝に恵まれた。それも数か月でなく、数日で子が誕生する。子に恵まれない婚姻などひとつもないばかりか、軽く接触しただけでも、あるいはほんのひととき結合しただけでも、子どもが生まれるのだった。異なる種のあいだでも、獣と石、植物と石のあいだでもおなじこと。冷たく慎みぶかい大地の表面を覆う生暖かい泥の海は、果てしなく広がる初夜の床のように、どこもかしこも情欲で沸きたち、歓喜あふれる胚芽がうごめいていた。
この第二の創世こそが、真の創世だったのだ。ケンタウロスの伝承によるなら、さもなければ、誰もが指摘する各種の類似や共通点の説明がつかない。なぜイルカは魚に似ているにもかかわらず、子を産み、父で育てるのか? それは、イルカがマグロと雌牛の子どもだからだ。なぜ蝶はあれほど優雅な色をし、器用に飛ぶのか? 蝿と花の子どもだからだ。亀はひき蛙と岩の子どもだし、コウモリはフクロウとネズミの子どもだし、貝はナメクジとすべすべした小石の子どもなのだ。馬と小川からはカバが生まれ、イモムシとストリクスからはハゲワシが生まれた。さもなければ、海の怪物とも呼ばれる大鯨が、なぜあれほど途方もなく巨大なのか、説明がつかないではないか。あの大樹のような骨も、脂ぎった黒い表皮も、燃える吐息も、全ての肉なるものの終わりが神によって宣告されたのち、ゴフェルの木で造られ、内と外とを木の脂で塗られた方舟の、女性の姿をした竜骨を、ほかでもない原始の泥が情欲で抱きしめ、崇高な交接をしたという生きた証拠なのだ。
現存する、あるいはすでに絶滅した生物の多様性も源は、こうしてできた。竜やカメレオン、キメラやハルピュイア、ワニやミノタウロス、象や巨人……。さまざまな骨が、いまだに化石として山の奥深くから発見され、世間を驚かせることがある。ケンタウロス自身もまた、そのような種族なのだ。この胚種広布とも呼べる原始の祭りには、数人だけ生き残った人間もまた、参加していたのだから。(pp.247-250)
ところで、「解説」で堤康徳氏は「天使の蝶」を巡って、

レーブの実験の目的は、文字通り、人間の肉体を天使へと進化させることにあった。だが科学者の夢見た天使の蝶は、鳥の化け物と化し、その見果てぬ夢は無惨な残骸だけを積み上げてゆく。ここで思い出されるのは、「新しい天使」と題されたパウル・クレーの一枚の絵にヴァルター・ベンヤミンが見た「歴史の天使」である。過去のカタストロフを見ながら、進歩という名の強風によって未来に飛ばされてゆくあの「歴史の天使」が、天使の蝶に重なる。(p.393)
と述べている。この解釈に対しては取り敢えず?をつけておくことにする*3

*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061207/1165500508

*2:但し「詩歌作成機」、「眠れる冷蔵庫の美女――冬の物語――」、「創世記 第六日」は戯曲形式。これらが実際に上演されたのかどうかは知らない。

*3:ベンヤミン「歴史の概念について」の「天使」に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080612/1213282824 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090221/1235199344 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110217/1297882488も参照のこと。

ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)

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