「あやかし」(田中貴子)

田中貴子*1「「あやかし」の世界に惹かれて」『月刊百科』(平凡社)507、pp.12-15、2005


『あやかし考――不思議の中世へ』が「サントリー学芸賞」を受賞したことに因んだエッセイ。


「あやかし」は、赤ん坊を「あやす」という言葉ともつながりあるという。泣いて困る赤ちゃんを「あやす」ことは、いわば赤ちゃんをだまくらかして静かにさせるということであるから、「あやす」には「人を惑わせる」という意味が含まれているのかも知れない。
また、能面には「怪士」と書いて「あやかし」と読ませる男面がある。霊妙な力を持った神や化け物を表現したものである。おどろに乱れた髪やかっと見開いた目、大きく開いた口先などは、まさに「あやかし」の力を感じさせる。(略)幽霊が、ただ単に怨念をもってこの世に出現するというより、その姿には、人間の力を超越したあやしい魅力が漂っている。
このように、「あやかし」という語は中世に生まれた言葉であり、広い意味での怪異、あるいはそれを引き起こすモノを指し示すものであった。私は以前からこの「あやかし」の語感が気に入っており、中世の怪異について記す場合、あえて使ってきたのである。怪異やそれを引き起こすモノといえば、現代人はただちに「妖怪」という語を思い起こすだろうが、この言葉は、実は近世以前にはほとんど文献に登場しない。二つほどある例は、「奇怪である」という意味の形容動詞として使われており、「あやしいもの」を直接意味してはいないのである。妖怪なる語は近世の黄表紙などから現れる、比較的新しい言葉だった。(pp.12-13)
(西山克『怪異学の技法』を参照して)中世における「「あやかし」の出現」は「天皇や将軍といった大きな権威に対する危機意識によるもの」(p.13)。
また、「中世の人々の、珍奇なものに対する強い興味」について;

(前略)洛外は伏見でのほほんと暮らしていた伏見宮貞成親王は、その日記である『看聞御記』にしばしば怪異なる現象の話題を記しているし、相国寺の僧侶もまた、『臥雲日件録』に「誰それから聞いた話」として怪異現象を書き残している。皇族や貴族、僧侶といったインテリゲンチャが、積極的に怪異について語ることは、現代の私たちから見ると異常な感じに映る。しかし、彼らの中には怪異に対する好奇心が渦巻いていたのであろうし、それを記録に残すことに一種の使命感のようなものを抱いていたのではないかと思われるのである。(pp.13-14)
後半は泉鏡花*2への言及;

鏡花の研究は、学者から市井の好事家に至るまで、まことに厚い層をなしているが、それも、彼が「あやかし」の世界を描く作家であったことが影響していると私は見ている。もちろん、一般には『婦系図』や『日本橋』のような男女の恋愛の機微を描く作品の方が知られているが、何といっても鏡花の真骨頂は「あやかしもの」にあると思う。
「あやかしもの」といっても、本当の怪異が現れるものから、山中で不思議な女と出会う、といった人間の「あやかし」までさまざまであるが、あの代表作である『高野聖』こそが「あやかしもの」であることを考慮すれば、鏡花の怪異趣味は、彼の文学の本質であると言わざるを得ない。愛する母が早世し、病気がちな少年であった鏡花にとって、空想の世界に浸ることが唯一の楽しみであったのでは、と想像する。そして、「謡が空から降ってくる」といわれる、生まれ故郷の金沢という風土や、大きな影響を受けたとされる伯父の能楽師の存在は、謡曲という、いわばほとんどが「あやかし譚」であるテクストに触れる機会を作っていたのだろう。また、石川近郷の古い伝承の影響も見逃すことはできない。
試みに、岩波版『鏡花全集』を繰ってみると、何らかの形で「あやかし」が出てくる作品は約三十三にものぼることがわかる。『夜叉ヶ池』や『天守物語』の、妖魔たちのきらびやかな世界から、『眉かくしの霊』の、骨の髄まで凍るような透明な恐ろしさまで、鏡花の「あやかし譚」は多彩である。それらのそこここには、近代以前の伝承の世界が顔をのぞかせている。須田千里氏の指摘によると、古伝承、近世や中世の物語、また、中国の文献など、鏡花が親しんだものは非常に広い範囲にのぼるという。私は、これらを腑分けしていくことにより、鏡花作品における「あやかし譚」の意味を探ってみたく思っている。(pp.14-15)
高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)

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夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)

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