昭和の作家

『読売』の記事;


鏡花晩年の傑作 草稿発見

 金沢三文豪の一人、泉鏡花(1873〜1939年)の晩年の傑作といわれる「山海評判記」の草稿が泉鏡花記念館*1金沢市)の調査で発見された。草稿には推敲(すいこう)の痕跡が随所に見られ、鏡花の幻想的な文章は緻密な計算のもとに書かれたことが分かった。同館の担当者は「鏡花が幻想的な文章をどのような手法で作り上げたのかを分析する上で、非常に貴重な資料だ」と指摘している。(池田創)

 「山海評判記」は「時事新報」の夕刊に、1929年(昭和4年)の7月2日から11月26日に全125回にわたって掲載された。七尾市和倉温泉を舞台にした幻想小説で、小説家の主人公が様々な怪異に遭遇するストーリーだ。

 長らく鏡花の幻想小説の傑作とされてきた。さらに近年、民俗学者柳田国男(1875〜1962年)との親交の過程で執筆されたことが指摘され、関連書籍も出版されるなど再評価が進んでいる。

 今回発見された草稿は計30枚。鏡花のめいである泉名月(なつき)さんが2008年に亡くなり、遺品の整理作業の中で今年2月に発見された。

 草稿の随所に推敲の後が見られた。例えば、草稿段階で直接的だった描写を、発表時には主語を消したり、表現を変えたりするなどしてぼやかすことで、鏡花独特の幻想的な文章を作り上げていたことが判明した。

 草稿を発見した同館の穴倉玉日学芸員は「鏡花の幻想的な文章は感覚的に書かれたものでは無く、推敲を繰り返し緻密な計算のもとに書かれていた」と話している。

 草稿は鏡花生誕140年を記念する同館の企画展で展示中。展示は12月8日まで。今月28、29日は展示替えのため休館。
(2013年10月16日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20131015-OYT8T01265.htm

私も含めて、泉鏡花というと明治の作家という印象を持っている人は多いんじゃないかと思う。しかし、鏡花が亡くなったのは昭和14年(1939)で、既に日中戦争は本格的に始まっている。太平洋戦争開戦の2年前。70代まで生きていたならば大日本帝国の崩壊に立ち会っていたわけだし、長寿に恵まれて90代まで生きたとすれば、60年安保闘争東京オリンピックにも立ち会っていたことになる。何が言いたいのかといえば、泉鏡花は昭和の作家だったということだ。
ところで、「金沢三文豪」とは泉鏡花徳田秋声室生犀星。「金沢三文豪」といわれて、鏡花と犀星は直ぐに想起したのだが、あと一人がなかなか出てこなくて、五木寛之*2は金沢に住んでいたよねとか、井上靖*3も金沢にいた筈だとか、思いが巡り、泉鏡花とは同じ尾崎紅葉門下である徳田秋声の名前は最後まで出てこなかったのだった。
See also


「三文豪」http://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/~tsuchida/soundscape/cd-rom/bungou.htm
「金沢3文豪とは・・・・。」http://388-388.at.webry.info/200801/article_12.html