2人の「阿保親王」

古寺多見氏が故勝谷誠彦*1をdisっている;


こう書いて思い出したのが、かつて2005年に朝日新聞の日曜版(当時。現在は土曜版)が「天皇をアホと書いた」と鬼の首を取ったようにはしゃいでいた故勝谷誠彦のことだ。朝日の日曜版が「阿保親王」を「阿保天皇」と誤記してしまったのを勝谷があげつらったものだが、いうまでもなく「阿保」はあほではなくあぼと読む。勝谷の出身地である尼崎市の隣の隣の芦屋市には「阿保親王塚」があり、親王は「あぼみこ」として親しまれていて阿保親王塚は近隣の人たちの観光スポットにもなっている(と言いながら阪神間で子ども時代を過ごした私は行ったことがないのだが)。地元の名所も知らない勝谷こそアホの活き作りだったのだ。その勝谷も改元を待たずに死んでしまった。

 そんな勝谷を追悼(追討?)する意味でも、新元号を「あほ」ならぬ「あぼ」にしてはいかがかと思う今日この頃。
https://kojitaken.hatenablog.com/entry/2019/03/19/235112

芦屋の「親王塚」の「阿保親王」は平城天皇の皇子で、在原業平*2の父親。父親とその寵姫、藤原薬子のクーデタに連座して失脚。息子たちを臣籍降下させざるを得なかった。阿保親王と芦屋については、例えば、


阿保親王と芦屋」https://kobecco.hpg.co.jp/6439/
「二度の政変に遭った親王https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2018/07/%E9%98%BF%E4%BF%9D.html


芦屋には「親王塚」のほかに、阿保親王の別邸跡に建てられたとされる「阿保山親王寺」という寺があるという。
さて、


野本「阿保(大阪松原)の読みはあほじゃない!地名の由来が由緒ありすぎ!」http://seyana.net/culture/879.html


大阪府松原に「阿保」という地名がある。阿保親王に因んだもの。但し、念み方は「あお」。
何故「阿保」が「あお」なのか。もしかして、正仮名で書くと、「あお」じゃなくて「あを」なのでは? 私の推測を述べると、(何時かはわからないけれど)「あぼ」が清音化して「あほ」になった。は行のわ行化*3によって「あを」になった。わ行の子音が剥落して「あお」になった。
さて、このエントリーによると、三重県伊賀市にも「あお」と念む「阿保」という地名がある。実は、「阿保親王」という皇族は2人いたようだ。ひとりは勿論平城天皇の皇子。もう一人は垂仁天皇の皇子、息速別命が「阿保親王」と呼ばれており、その墓が伊賀市阿保にある*4。勿論垂仁の時代に「親王」という称号が存在してた筈もなく、あくまでも通称なのだけど、この通称及び地名は、息速別命の子孫を称する一族が「阿保」という姓を名乗ったことに関係する。
See also


垂仁天皇皇子・息速別命墓(三重県伊賀市阿保)」https://blogs.yahoo.co.jp/saiga5178/66550026.html


redkittyさん*5が「阪神間には阿保姓の人も多いですよね」とコメントしている。近現代の使い方ではなく本来の意味における「姓」であれば、息速別命に関係しているといえるでしょう。でも、姓と苗字の関係は単純なものではないですよね。安倍晋三は奥州安倍氏の末裔を自称しているようですけど、他方、藤原紀香は姓は平、苗字は藤原*6阪神間の「阿保」さんは?
「阿保」というのは大和言葉ですよね?*7 そもそもどんな意味だったのだろうか。 
平城天皇の皇子ということで印象が強いのは、澁澤龍彦の小説*8の主人公にもなった高岳親王(または高丘親王)。藤原薬子の息子で、出家し、さらに印度を目指し、現在のマレーシア辺りで客死した。

高丘親王航海記 (文春文庫)

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