大竹昭子『須賀敦子の旅路』

大竹昭子須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』*1を読了したのは先月下旬のこと。


はじめに


ミラノ
電車通り
ムジェッロ街の家
コルシア書店の日々
ボンビアーニ一族
ナヴィリオの環
三ッ橋のむこう側
墓参りの日曜日
ミラノ最後の年


ヴェネツィア
島へ
橋づくし、小路めぐり
ゲット・ツアー
ザッテレの河岸
リド島のひと夏
ラグーナを渡って
ヴェネツィアの友人
陸地へ


ローマ
アヴェンティーノの丘
カンボ・マルツィオ彷徨
サン・ピエトロの聖霊降臨祭
マルダッタ街五十一番地
ギンズブルグの家
聖天使城へ
皇帝の夢の跡
ノマッドのように


東京
空白の二十年
文体との出会い
創作への道
内なる”鬼”


ことばを探す旅 ロングインタビュー


須賀敦子 略年譜
解説(福岡伸一

須賀敦子のミラノ』、『須賀敦子ヴェネツィア』、『須賀敦子のローマ』という3冊の単行本と1992年に行われたインタヴューを併せたもの。
東京篇の最後の部分を引用する;

(前略)須賀の作品でどうしても入っていけないのは、彼女の抱えていた宗教の問題なのだ。信仰というものを持たない私は、神とむきあう生き方とはどういうものなのか、その必然性とはなんなのかを、身体的に理解することができず、外から想像するに留まるもどかしさがつねについてまわる。
須賀はあるときから教会に行くのを止め、自分ひとりで信仰というものを考えるようになった。それくらい信仰に真摯に向き合っていた彼女のつぎなるテーマが宗教をめぐる魂の変遷であったこと*2、そこに踏み込まないかぎり自分を欺くことになると思うほどその問題に気持ちを収斂させていたことはまちがいないが、書き上げる前に時間が尽きてしまった。どういう内容が書かれようとしていたのか、後の人間に問いかけるように去っていったところが須賀らしいとも感じる。動物には宗教や信仰は必要ないから、信仰とは人間だけが持とうと求めるものであり、その意味で、信仰とはなにかとは、人間とはなにかという問いに等しいように思う。そういう話を須賀としてみたかったし、それなら私にも語れることが少しはあったかもしれない、といまはそんなふうに思っている。(pp.409-410)
松山巌氏の『須賀敦子の方へ』*3を読んだときにも思ったのだけど、今後新しい須賀敦子論は、基督教神学や宗教学専攻の人が書くようになるのではないか。
須賀敦子の方へ (新潮文庫)

須賀敦子の方へ (新潮文庫)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/14/113706 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/18/124308 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/25/111529 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/11/114748 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/02/18/100601

*2:出だしの30枚分のみ遺稿として残された未完の小説『アルザスの曲がりくねった道』のこと。須賀敦子のノートに曰く、「Zという一九八八年に七九歳で生涯を終えた、ひとりのフランス人修道女の、伝記を断片的につづりながら、彼女の歩いた道を、日本人の『わたし』がたずねるかたちで書く」(Cited in p.364)。

*3:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20181023/1540262182 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/01/30/123840