「おしゃべりな墓」

大竹昭子須賀敦子の旅路』*1から。
ミラノの「ランブラーテ墓地」について。須賀敦子さんの夫君ペッピーノの一家の墓がある。
先ずは、「日曜は墓参の日」であるということ;


やがて広大な墓地は前方に現れた。その一角にコンクリートの無骨な建物があり、大勢の人がゲートを出たり入ったりしている。墓地というよりイベント会場のような雰囲気で、門前の花屋も花束をもとめる人でいっぱいだった。バス停には墓参を終えた人々が帰りのバスを待って長い列を作っている。日本ならば春分秋分のときのようなにぎわいだが、この日は特別の日ではなく、ただふつうの日曜日だった。
イヴァーナのおばあさんが日曜日になると近所の人たちの墓参りに行くという話が「電車道」(『トリエステの坂道』*2)に出てくる。イヴァーナのお母さんはロシア人で、お父さんがロシアで捕虜になったときに知り合って結婚し、彼らがイタリアに来たときに、おばあさんも一緒にロシアを出てきたのである。墓参りってだれの? と「私」*3がたずねると、ロシアでは日曜日が墓参りと決まっているみたいだ、とイヴァーナは答える。そのおばあさんがやってきたのが、このランブラーテ墓地だった。「日曜日は、35番の電車道の、ガードの向こう側から、市営墓地行きの特別バスが出た。その路線だけは、運賃の日曜割引がある」とあるから、イタリアでも日曜は墓参の日なのだろう。(p.115)
トリエステの坂道 (新潮文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)


どの墓もデザインがずば抜けて派手で仰々しい。アメリカでもイタリア移民の墓はにぎやかなので一目でわかるが、その源をまのあたりにしているような気がした。故人の写真が埋め込まれたり、デザインが凝っていたり、墓とは思えないほど饒舌な墓石に色とりどりの花が飾られ、小さな木も植えられ、墓地というよりガーデニングの店にいるようだ。よく見ると花のほうは造花がほとんどだが、雰囲気全体が墓地の湿っぽいイメージを吹きとばすような華やかさに包まれている。日本の霊園では墓地の「平等化」をうたって墓石のサイズもデザインも一律にしているところが多いが、ここはサイズもデザインもさまざまで、おしゃべりな墓、という印象はさらに強まっていった。
メインストリートの目立つ位置にあるのは、大理石で造られた「聖堂付きの墓」である。人が集えるほどの広さがあり、彫像や豪華な造花が飾られ、金がかかっていることが一目でわかる。つぎに目にとまるのは、棺サイズの墓石を地面に平らに埋め込んだものだ。これらは「聖堂付きの墓」ほど高価ではないものの、死者ひとりのためにこれだけの土地を確保しているのだから、やはり経済的余裕がなくてはできないだろう。
敷地を奥に進むほど簡素になり、草地に石の墓碑を立てた一角があったり、もっと単純に土を盛り上げて木の十字架が差してあるだけという墓もあったが、これらは死者の仮の宿であるらしい。
土地が限られている都市部では、土葬の墓を維持できるのはごく一部の金持ちで、庶民の場合は市から一定期間だけ土地を借りて死者を土葬し、期限が切れると墓を掘り起こして骨をひろい集め、白い紗でつつんで小さな箱に入れ、ロークロと呼ばれる壁龕に納める。日本にもロッカーふうの納骨堂はあるけれど、このロークロは日本のように開閉式ではなく、ひとり分の骨を入れてコンクリートで蓋をしたら二度と開けない。(pp.116-117)