「追悼」の本たち

須賀敦子の方へ (新潮文庫)

須賀敦子の方へ (新潮文庫)

ミラノ霧の風景 (白水Uブックス)

ミラノ霧の風景 (白水Uブックス)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)

トリエステの坂道 (新潮文庫)

松山巌須賀敦子の方へ』*1からメモ。
須賀敦子の作品、特に『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』に通底する「追悼」という通奏低音或いは隠れた主題を巡って。


『ミラノ 霧の風景』のなかでは、「プロシュッティ先生のパスコリ」は父親を暗殺された詩人ジョヴァンニ・パスコリの話であり、「『ナポリを見て死ね』」はニューヨークの初代カトリック司教に任命されながら、ナポリで伝染病に罹って死んだ司教の墓を見つけた話である。この二話は友人の話ではないが、「セルジョ・モランドの友人たち」は、彼女にはじめて日本文学をイタリア語に訳す仕事を与えてくれた編集者モランドへの、「ガッティの背中」はコルシア書店の仲間の一人で、須賀が日本に帰国した後も手紙を届け続けた大切な友人ガッティへの、そして終章の「アントニオの大聖堂」はイタリアを離れ、アルゼンチンで急死した夫の友人アントニオへの、追悼の言葉である。
他の章にも死者への思いはちりばめられていて、しかも須賀は、その追悼の思いを十分に自覚して「ミラノ 霧の風景」を連載後一年かけてまとめたのだ。「あとがき」は、まず夫ペッピーノが好きだったウンベルト・サバの詩「灰」が引用される。

死んでしまったものの、失われた痛みの、
ひそやかなふれあいの、言葉にならぬ
ため息の、
灰。
そして「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たち」への追悼の思いは、続いて書きおろされた『コルシア書店の仲間たち』でより構えが大きくなる。各章というよりも全体が一つとなって、コルシア書店にかかわった友人たち、特にあとがきに書かれたダヴィデ神父とコルシア書店そのものへの追悼である。
こう考えれば、さらに『ヴェネツィアの宿』も『トリエステの坂道』も同様で、前者は、連載時のタイトル「古い地図帳」、つまり父・豊治郎が大事に持っていた古い地図帳を意味するように、彼女は父母、祖父母、そして伊藤の伯父伯母を追悼し、後者はウンベルト・サバと、サバが経営していた書店の場所を教えてくれたナタリア・ギンズブルグへの追悼である。要するに、須賀はこの四作品で心の底を吐き出すようにして、「霧の向うへ行ってしまった友人たち」と家族を悼んでいる。そして最後が、『トリエステの坂道』の終章「ふるえる手」で描いた「なつかしい先達」ナタリア・ギンズブルグに他ならない。
しかしそれ以上に四作品はなによりも、ナタリアの『ある家族の会話』*2を「きみの本だ」と手渡し、サバの詩を愛した夫ペッピーノへの追悼なのだ。四作品のなかではペッピーノを直截に語った文章は少ない。というよりも彼はいつも脇役のようにして登場する。だから影法師のように、霧の向うで須賀を見守っている印象が残る。それほどペッピーノは霧の粒子のように彼女の、どの記憶とも深く結びついている。(pp.65-68)
ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

ある家族の会話 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

See also


sumita-m.hatenadiary.com