- 作者: 東京社会学インスティチュート
- 出版社/メーカー: 東京社会学インスティチュート
- 発売日: 2006/09
- メディア: 単行本
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東浩紀*1『動物化するポストモダン』を巡って;
なんだか衝撃的な本であった。というよりも今思えば「衝撃」的だったのかもしれない、と言ったところだろうか。つまり、[刊行された]当時私にはこの本がよく理解できなかったのだ。簡明な文章とたくさんの図解、そしてアニメやゲーム、オタクといった主題は、よくある「学術書」が備えるような難解さも荘厳さも持ち合わせていなかった。率直に言って「どうでもいい」ような気がしていた。東は、人間は「動物化」する(した)と言っていた。そこでは、イデオロギーを持ち、社会関係を営む「主体」や「人間」が過去のものとされ、それと対比されるかたちで、イデオロギーも社会性もない「動物」が現代社会を席巻していると書かれていた。
それから約5年間、この本にまじめに向き合うことはなく、それでも言説空間のなかで「動物化」という言葉が確実に市民権を得ているのを実感していた。私もしばしばその語を使用した。いつのまにか、それは日本において現代社会を説明するひとつのキー概念として作動し始めていた。それはとりもなおさず、東の分析に共感できる土壌が、私たちの側にすでに出来上がっていたことを意味する。『動物化するポストモダン』は社会分析として何らかのかたちで決定的に「適切である」という感覚があったのだ。だがその感覚で立ち止まっていることこそ「動物」的な反応ではないか。その思いにいたってはじめて、私はこの本に自分が鈍い反応しか示せなかった理由に気づき、この本の「衝撃」に出会ったのである。
この本は、本当に「どうでもいい」本なのだ。「どうでもいい」ことに対して人は深く考えることができないのだ。だが、もし現代社会が、本当にこの水準にまで「どうでもいい」ことで動いているのだとしたら? 「どうでもいい」と片付けている場合だろうか。「どうでもいい」ことは、そのままでは分析できない。だからこそ「どうでもいい」感じのまま一人歩きしてしまう。こうした危機感が本稿の出発点である。(pp.103-104)
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/11/20
- メディア: 新書
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ジル・ドゥルーズが『記号と事件』に収録されたテクストとインタヴューで語った「規律社会」から「管理社会」への移行*2を、以下のように纏める;
両者の差異は、表面的には「壁」の有無にあると言える。規律訓練型の社会は、それが監獄のモデルで示されたことからもわかるように、壁を持っている。監獄、兵舎、病院、学校、家のまわりには壁がある。ということは、壁の「外」があるということだ*3。(後略)(ibid.)
- 作者: ジルドゥルーズ,Gilles Deleuze,宮林寛
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/05/01
- メディア: 文庫
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東による時代区分は大澤真幸による「戦後日本史の区分」を参照している(p.118、註4)。「中途半端にポストモダン的だった時代」=「虚構の時代」(大澤)。大貫は大澤の『現実の向こう』という本を参照しているが、ここでは大澤の『虚構の時代の果て』をマークしておく。また、大澤による「戦後日本史の区分」は見田宗介(eg. 『社会学入門』第3章)を参照したものである*5。
近代の権力は規律訓練型であり、人間は規律訓練され、形式的にも内容的にも法に従属した存在であった。それは、もっとも狭義の「主体」でありれっきとした人間だ。「中途半端にポストモダン的だった時代」では、法はその内容においては信じられていないが(空虚であるが)、形式的にはいまだ効力を持っている。その中身が空虚であろうとも、何がしかの獲得しえない対象としてそれは私たちを魅了し続けるという意味で、ここではまだ欲望の弁証法は続いている。したがって「主体」も人間も存在している。だが1995年以降からこんにちまでの「全面的なポストモダン」(東 [2001:131]*4)においては、権力は法やイデオロギーを一切必要とせず、環境として私たちを取り巻くだけになる。人はイデオロギーとの関係や距離によって行動を決定するのではなく、ただ物理的に可能なことを行い、不可能なことを行わないだけになる。ここには「主体」もない。このイデオロギーを経由しない存在を東は「動物」と呼び、この時代を「動物の時代」と名づけるのだ。(p.107)
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/06/01
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- 作者: 見田宗介
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/04/20
- メディア: 新書
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*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050630 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060121/1137869912 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060124/1138069211 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071027/1193510497 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080108/1199795624 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080131/1201796826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081031/1225480601 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081106/1225988138 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081120/1227201998 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081213/1229142951 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090107/1231344604 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090130/1233251234
*2:これについては、「創造行為とは何か」([鈴木啓二訳]『批評空間』II-22、1999)も参照のこと。See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080728/1217211926
*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081201/1228103065
*4: 『動物化するポストモダン』