村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』

村上春樹ラオスにいったい何があるというんですか?』*1を先週読了。


チャールズ河畔の小径
緑の苔と温泉のあるところ
おいしいものが食べたい
懐かしいふたつの島で
もしタイムマシーンがあったなら
シベリウスカウリスマキを訪ねて
大いなるメコン川の畔で
野球と鯨とドーナッツ
白い道と赤いワイン
漱石からくまモンまで
「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告


あとがき

村上春樹の紀行文集。ボストン、アイスランドオレゴン州ポートランドメイン州ポートランド、希臘ミコノス島とスペッツェス島、紐育、芬蘭ラオスのルアンプラバン、トスカナ、熊本県。因みに、地震後の熊本*2を訪ねた「「東京するめクラブ」より、熊本再訪のご報告」は文庫版での追加。
表題について、「あとがき」に曰く、

本書のタイトルの「ラオスにいったい何があるというんですか?」は、文中にもあるけれど、僕が「これからラオスに行く」と言ったときに、中継地のハノイで、あるヴェトナム人から僕に向かって発せられた質問です。ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるんですか、と。
そう訊かれて、僕も一瞬返答に窮しました。言われてみれば、ラオスにいったい何があるというのだろう? でも実際に行ってみると、ラオスにはラオスにしかないものがあります。当たり前のことですね。旅行とはそういうものです。そこに何があるか前もってわかっていたら、誰もわざわざ手間暇かけて旅行になんて出ません。何度か行ったことのある場所だって、行くたびに「へえ、こんなものがあったんだ!」という驚きが必ずあります。それが旅行というものです。(p.273)
ラオス紀行である「大いなるメコン川の畔で」に曰く、

日本からラオスのルアンプラバンの街に行く直行便はないので、どこかで飛行機を乗り継がなくてはならない。バンコックかハノイを中継地点にするのが一般的だ。僕の場合は途中ハノイで一泊したのだが、そのときヴェトナムの人に「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」と不審そうな顔で質問された。その言外には「ヴェトナムにない、いったい何がラオスにあるというんですか?」というニュアンスが読み取れた。
さて、いったい何がラオスにあるというのか? 良い質問だ。たぶん、でもそんなことを訊かれても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。
しかしそう問われて、あらためて考えてみて、ラオスという国について自分がほとんど何も知らないことに気づく。これまでとくにラオスに興味を持ったこともなかった。それが地図のどのあたりに位置するのか、それさえろくに知らなかった。あなたもおそらく同じようなものではないかと、僕は(かなり勝手に)推察してしまうのだけど。(pp.161-162)
「どうしてまたラオスなんかに行くんですか?」という質問に対しては、「祭り」を見に行く、とか、日本のTV局のやらせを見に行くというのが今旬の回答かも知れないけれど*3。それはともかくとして、この紀行の中には、素晴らしい宗教論(物語論)が挟まっている;

ルアンプラバンの街の特徴のひとつは、そこにとにかく物語が満ちていることだ。そのほとんどは宗教的な物語だ。寺院の壁にはあちこちに所狭しと、物語らしき絵が描かれている。どれも何かしら不思議な、意味ありげな絵だ。「この絵はどういう意味ですか?」と地元の人々に尋ねると、みんなが「ああ、それはね」と、進んでその物語の由来を解説してくれる。どれもなかなか面白い話(宗教的説話)なのだが、僕がまず驚くのは、それほど数多くの物語を人々がみんなちゃんと覚えているということだ。言い換えれば、それだけの多くの物語が、人々の意識の中に集合的にストックされているということになる。その事実がまず僕を感動させる。そのようにストックされた物語を前提としてコミュニティーができあがり、人々がしっかり地縁的に結びつけられているということが。
「宗教」というものを定義するのはずいぶんむずかしいことになるが、そのように固有の「物語性」が世界認識のための枠組みとなって機能するということも、宗教に与えられたひとつの基本的な役割と言えるだろう。当たり前のことだが、物語を持たない宗教は存在しない。そしてそれは(そもそもは)目的や、仲介者の「解釈」を必要としない純粋な物語であるべきなのだ。なぜなら宗教というのは、規範や思惟の源泉であると同時に、いやそれ以前に、物語の(言い換えれば流動するイメージの)共有行為として自生的に存在したはずのものだから。つまりそれが自然に、無条件に人々に共有されるということが、魂のためになによりも大事なのだから。(pp.178-180)