「祭り」を再考せよ

承前*1

NTVの『世界の果てまでイッテQ!』の「やらせ」或いは捏造疑惑を巡って。状況は一段とNTV不利の様相を呈してきているようだ。


水島宏明「「イッテQ」疑惑をテレ朝「モーニングショー」が検証したらクロ!」https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20181109-00103591/
東京スポーツ「ヤラセ疑惑「イッテQ」内村が怒りの降板も 出演者には知らされず!?」http://news.livedoor.com/article/detail/15569716/
AbemaTIMES「イッテQの“やらせ疑惑”報道にデーブ・スペクター氏「まずいと思ったものはボツにすべき。それができる番組だったはず」」https://blogos.com/article/337684/


まあわざわざ現地取材して「検証」しなくても、ことの真偽は、図書館で旅行ガイド本を精読するとか、ネット検索を行うだけで明らかにしうるのではないかと思う。「今ラオスとかアジアでものすごい大人気」な「祭り」が実在するなら、活字にせよネットにせよ、その痕跡は残っている筈なのだ。「祭り」としてはよりマイナーな、幼稚園や小学校の運動会の映像だって、ネットにアップロードされているわけだから。
さて、


J-CASTニュース「イッテQ「何祭り」27か国でロケ...最多はどこか分かりますか? 11年で放送は100回超え」http://news.livedoor.com/article/detail/15567132/


ところで、これを機会に「祭り」とは何かを再考してみることも有意義なのではないか。「祭り」とは何か。たんにわっと盛り上がることだと考えている人も少なくないのでは? それは完全な間違いということではないのだけど、それだけじゃないだろう。「祭り」をただの馬鹿騒ぎから区別しているのは故事来歴の存在だろう*2。クリスマスは基督教の教祖としての耶蘇の誕生日という故事来歴があるわけだし*3ハロウィーンも西洋お盆*4としての故事来歴と切り離すことはできない。まあ、このことはパーソナルな「祭り」、例えば誕生日とか結婚記念日とかサラダ記念日とかカラダ記念日とかを考えれば、殆ど自明なことなのだけど。
さて、「橋祭り」の故事来歴、或いは故事来歴に支えられたシンボリズムが気になった。この場合、「橋」ってどういう意味なのだろうか。「橋」の両義性については、ゲオルク・ジンメルが「橋と扉」*5で考察絞殺していた筈だ。また、日本でも橋姫信仰というのがあるな云々。また、「自転車」の意味は? ラオスに「自転車」というものが伝来したのは仏蘭西殖民地時代だっただろうけど、その頃、「自転車」を巡って、いったい何が起こったのか。そういう故事来歴やシンボリズムまでひっくるめて「橋祭り」を捏造したというなら、それはそれでお見事といえるのだろうけど。

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

ジンメル・コレクション (ちくま学芸文庫)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20181108/1541695193

*2:ここで、「祭り」といっているのは正確には祝祭である。「祭り」には、禁欲的な物忌み(潔斎)という側面があり、少なくとも神道的には「祭り」というのは祝祭と物忌みがセットになって構成されるものだといえるかも知れない。

*3:クリスマス=性夜というのは民俗学的には正しい。See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101228/1293511035

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141101/1414823222 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170819/1503165207 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171027/1509117778 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20181030/1540911569

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091220/1261308211 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100828/1282976283 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160714/1468512433