エクソフォニー(須賀敦子)

須賀敦子「魅惑的な「外国語」文学」(in 『塩一トンの読書』*1、pp.49-51)


曰く、


作家がいろいろな事情で、彼の母語であるはずのことばではなく、本来なら彼にとって「外国語」であったはずの言語で書いたすぐれた作品は、これまでにもあった。しかし、民族の移動が(しばしば不幸な状況のもとに)ほとんど日常化した現代では、そういった作品の層は、以前とは比べものにならないほど厚くなっている。(p.49)
ここで採り上げられるのは、ターハル・ベン・ジェルーンの『砂の子ども』*2マイケル・オンダーチェの『イギリス人の患者』*3。須賀さんの評は本文を看ていただくとして、最後のパラグラフを切り取っておく;

宗主国といわれた国々が物語を失ったかにみえるいま、これらの作家たちが、古い言語の物語を新しい手法で語りつづけるこの現象は、すこし事情はちがうが、紀元前一世紀にまだ新しいラテン語を、古いギリシャ語の韻律に組みこんだ、『アエネーイス』(泉井久之訳、岩波文庫)でラテン詩形を完成させたウェルギリウスを想起させる。あたらしい世界都市の建設をめざして、燃えさかるトロイを苦難のうちに脱出したアエネアスを主人公に据えたこの古典作品を、難民、弱者の文学だと評したのは、ユダヤ系の評論家ジョージ・スタイナーだったが、これもまた、ひとつの偉大な文化がつぎの文化に場をゆずった時期の象徴的な文学として読むことができる。(pp.50-51)
砂の子ども

砂の子ども

なお、須賀敦子と「難民」を巡っては、「ゲットのことなど ローマからの手紙」*4も読まれたい。