湯川豊『須賀敦子を読む』

須賀敦子を読む (新潮文庫)

須賀敦子を読む (新潮文庫)

湯川豊須賀敦子を読む』*1を読了したのは成田へと向かう京成電車の中だっだ*2

第一章 もう一度、コルシア書店を生きる−−『コルシア書店の仲間たち』
第二章 霧の向こうの「失われた時」−−『ミラノ 霧の風景』
第三章 父と娘のヨーロッパ−−『ヴェネツィアの宿』
第四章 精神の遍歴−−『ユルスナールの靴』
第五章 家族の肖像−−『トリエステの坂道』
第六章 信仰と文学のあいだ−−「アルザスの曲がりくねった道」


あとがき
文庫版のためのあとがき
須賀敦子の主な著書、訳書、略年譜
解説(佐久間文子)

著者の湯川氏は元文藝春秋の編集者で、須賀敦子さんの第2作『コルシア書店の仲間たち』の編集を担当していた。しかし本書で、著者は須賀さんとの(編集者としての)個人的な交遊に凭り掛かるのではなく、タイトル通り須賀さんのテクストを丹念に「読む」という実践を行っている。
『コルシア書店の仲間たち』を論じる第一章では、ナタリア・ギンズブルグの『ある家族の会話』と須賀敦子との関わりが注目される。須賀さんは『コルシア書店の仲間たち』の中で、『ある家族の会話』について、

自分の言葉を、文体として練り上げたことが、すごいんじゃないかしら。私はいった。それは、この作品のテーマについてもいえると思う。いわば無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。読んだとき、あ、これは自分が書きたかった小説だと思った。(「オリーヴ林のなかの家」、cited in p.22)
と述べている。著者はこれを承けて、

文体はおそらく英語のstyleの訳語として当てられたものだろう。だとすれば漠然と文章一般を指すのではなく、文章の姿をいう言葉であると考えることができる。とするならば、文章を直接構成する語法というより、話法、つまり語り口の要素がずっと大きくなる。文体とは、その文章がどのようなジャンルに属するものかを問わずに、文章がどのように語られているのか、すなわち語り口のあり方を含んでいる、と考えておきたい。
『ある家族の会話』が、この話法(語り口)という点から見れば、エピソードとゴシップの連続である。「それを聞けば、たとえ真っ暗な洞窟の中であろうと、何百万人の人込みの中であろうと、ただちに相手がだれかわかる」ような家族だけに通じる言葉をたどり、その言葉にまつわるエピソードとその波紋を描く。波紋が幾重にも重なって困難な時代を生きる一族の物語が形づくられる。
須賀が『コルシア書店の仲間たち』で展開した絶妙な語り口もまた、基本的には同じである。エピソードとゴシップというと、どこか軽い、卑俗な感じがして、須賀の書き方をおとしめるように思われるかもしれないが、そうではない。エッセイではそれを多用する例は少ないとしても、小説では一般に考えられているよりずっと有効であるし、また多用されている語りの方法である。
エピソードとゴシップが標的にするのは、もちろん人間以外にない。人間の生身の姿である。『コルシア書店の仲間たち』では、神父で詩人のダヴィデ・トゥロルドも、ハンガリーから逃れてきたユダヤ人歯科医の家族も、屈折したものをかかえている編集者のガッティも、エピソードとゴシップを連ねてゆく語り口のなかで生き生きとよみがえるのである。(pp.25-26)
と述べる。著者は(例えば)「小さな妹」の

うん。ガッティは、アイスクリームを口にはこびながら、いった。スプーンを山に突きさすのでなくて、アイスクリームの傾斜に並行してぺったりくずしていく、ガッティの食べ方が妙に気になりながら、私はいった。
うん、なんていってる場合じゃないよ、ガッティ。(Cited in p.29)
というパッセージを「書き写していると」、「そのときのその場面を、描きだし、文章によって再現しようとする、須賀の強い意思」が「否応なく伝わってくる」という(pp.29-30)。そして、

会話からカギ括弧をはずすことで、いったんはセリフの直接性を薄める。薄めて、語り口のなかに溶けこませる。それによって二人がイタリア語で話していることを読み手に忘れさせ、語りのなかに会話する二人の場面がもう一度せり上がってくる。もともと会話は描写の一種という一面をもっているが、語りに溶けこませることでいっそう描写の効果が高まっている。
たんにイタリア体験を回想するだけなら、ここまで手の込んだことをする必要はないだろう。須賀はなぜ場面を描写し、再現するのに固執するのか。そう考えたとき、須賀敦子はそのときのその場面を生き直しているのだ、と気づいた。淡々と過去の事柄を回想しているのではなく、文章を書くことが「生き直す」という意味をもつのである。
いっぽう読者にしてみれば、須賀のこの語り口によってほとんど小説の作中人物のようにガッティとつきあうことができる。子どもみたいな男だなあと半ばあきれながら、中年男の困惑に同情もし、須賀と一緒に「うん、なんていってる場合じゃないよ」と声をかけたくなる。一言でいえば、小説を読むときのような想像力の働かせ方に読者を導くのだ。(pp.30-31)
「『ミラノ 霧の風景』のエッセイ十二編中、なんと半分の六編が本を触媒として、あるときは本の紹介が大半を占めるというふうにして書かれているのである」(p.59)。しかし第二章では、「記憶」を巡って、『コルシア書店の仲間たち』との対比が試みられている箇所に注目しておく;

この本では、記憶、記憶する、思い出す、目に浮かぶ、という言葉がかなり多く使われている。そういう言葉が使われていないときでも、回想しつつ語っているという姿勢が色濃く出ている。短くない時を経たのちにイタリア体験を語っているのだから、それはむしろ当然であって不思議ではない。
しかし後で書かれた『コルシア書店の仲間たち』では(略)同じく過去のことを語りながら、たんに思い出しているのではなく、記憶から場面を創造するという工夫が顕著だった。それによって過去が現在形化されて、読者は小説の一場面に立ちあっているような感じをもった。
この本では違う。記憶とか思い出すという言葉は、ごく自然に時間の流れを感じさせ、回想風エッセイにいかにもふさわしい、回想という枠組はそれらの言葉によってまったくゆるがないものになっている。(pp.70-71)
また「「思い出す」あるいは「記憶をまさぐる」ということから一歩踏み出しているエッセイ」としての「アントニオの大聖堂」(p.71)について。「なにか地を這う霧のように深い喪失感が流れている」(p.76)というこのエッセイの主題は記憶の不可能性でもある−−「いちばん肝心の、アントニオと一緒に見たルッカの大聖堂のイメージの記憶が幻のように揺れる」(p.74)。

記憶というものの濃淡、もしくは欠落が、わざとそのままに語られ、それによってじつに美しい余韻が残る。この一編は、記憶のあいまいさを逆手どって書かれているようなおもむきがある。記憶の空白が何かで補われて修整されるのではなく、空白のまま語られることで、大聖堂の幻想的なイメージがかえってリアリティをもつ。しかし、ほんとうは幻想だったかもしれないのだ。記憶という装置の中にいつのまにかできあがっていたイメージが突出してきたのかもしれないのだ。
そこまで検討したうえで、しかしあれこそが自分の大聖堂なのだ、と須賀は断言する。そのとき須賀は、思い出すままに過去の経験を語ることが、それが事実かどうかという点からすればあやういものであることをはっきり自覚したはずである。記憶装置がもつ虚構性である。その虚構性をいたずらに解析したり排除したりしても何も残らない。その虚構の中にある経験の真実をとらえ直すことが、大切なのだ。「アントニオの大聖堂」は、そう語っている。この認識から、『コルシア書店の仲間たち』に見るような、記憶の中の中核になる場面を描写によってあらためて創造していく書き方までは、ほんのひと跳びの距離しかない。(後略)(pp.75-76)
第三章で論じられる『ヴェネツィアの宿』では須賀さんの両親について語られている。

肉親について、肉親と自分との関係について小説仕立てで延々と綴るのはいわゆる私小説お家芸だった。暴君である父、父に取り残された母、そういう父や母と自分との関係となれば、まさに私小説の土俵の内である。にもかかわらず、須賀のエッセイが私小説からはるかに遠くにあって、より堅牢でしなやかな散文になっているのは、「話し上手」の語りのなかに文章をゆだねているからだ。そして父都母を語りながら、そこに自分とは何者かという問いかけが、ひそかにしのびこませてある。そう考えると、父母のこと以外のテーマに「寄り道」しているのも、「告白調」になることを避けたいという思いの現れではないかとも思われてくる。(後略)(pp.93-94)
第四章で論じられる『ユルスナールの靴』は「須賀敦子が生前に上梓した最後の著作」(p.114)。しかし、著者はこの本に「小さくはない戸惑いを覚えた」という(ibid.)。

須賀が語る対象であるユルスナールがすっきり見えてこない。立ちあがってこない。それが戸惑いの主たる原因だろう。しかし、須賀にはこの本で語ろうとしたことがもう一つあった。須賀自身の精神の軌跡とてもいうべきことである。(ibid.)

(前略)まず須賀の記述にしたがってユルスナールの作品につこうとする。すると作品につこうとする姿勢はユルスナールの人生の軌跡に分断され、ではと思い直してユルスナールの人生の軌跡をたどろうとすると、こんどは須賀自身のヨーロッパ体験に分断される。(後略)(p.117)
著者はそうした錯綜の中から「より身近かに、よりはっきりと聞こえてくる須賀の声」(p.121)を追い、そこに「きびしい自己省察」を見出す(p.126)。
第五章で論じられる『トリエステの坂道』は「結婚相手であるジュゼッペ(ペッピーノ)・リッカの家族の肖像を書く」試みである(p.142)。しかし、この章の最後で著者は須賀敦子における「エッセイ」と「小説」の問題に(再び)言及している。「私小説の特徴である(赤裸々な)告白めいた傾向から須賀の文学はずっと遠くにある」といい(p.176)、

(前略)須賀敦子はエッセイという私的な形式で文章を書きながら、自分の個性によりかかっていない。できるかぎり語り手にとどまり、何よりも語る対象である人間を、泥から目鼻立ちをつくりあげていくように、立体的に描いてみせる。こういう書き方は、本来的に小説にこそふさわしいのだが、須賀はそれをエッセイに用いるという方法をとった。それが須賀の独創性であり、須賀が切り開いたエッセイの新しい魅力である、といっていいだろう。
内に「小説」を孕んでいるような構造と、それを支えている論理的な文体。しかしそのうえで階層的エッセイという枠組を取り払うことは最後までなかったから、その文章は小説とよばれることをどこかで、強く拒否している。同時に(略)普通の意味での回想的エッセイに終っていない。過去を物語風に再現したエッセイは、濃密な「現在」をもって一個の作品になっている。私たちはそこで、二十年前三十年前の「現在」を生きる人びとに出会う。そして須賀敦子がその人びとと共に生き直している姿を読みとるのである。(pp.176-177)
最後の第六章で採り上げられるのは、須賀敦子の絶筆となった「アルザスの曲がりくねった道」、(『新潮』1996年1月号に発表された)エッセイ「古いハスのタネ」。ここで問題になるのは須賀敦子における「文学」と「信仰」の問題である。先ず

須賀敦子はミラノから帰国した一九七一年秋以来、エマウスの実践活動に没頭した。そして七五年末、「エマウスの家」の責任者を辞任して、取り憑かれたような実践活動から遠ざかった。その間足かけ五年、須賀敦子カトリック信仰者としての実践活動を最優先して生きたといえる。(p.180)

カトリック信仰者の実践活動と、「文章を書くこと」は容易には併立しないとと須賀が考えていたことである。つまり実践活動と文学は、本気でやろうとすればむしろ対立するものだと須賀は考えていた。実際全生活をかけたようなエマウスの活動のなかでは、文章を書くことはおろかまとまった読書時間すらおぼつかなかっただろう。何よりも時間的に不可能だったはずだ。(後略)(pp.187-188)

須賀敦子は、信仰者としての実践活動と、文章を書く人になりたいという熱望のあいだを、黙々と行ったり来たりしていた。そして一九八〇年代後半から須賀に「文学の時」が来た。書く人になりたい。信仰と同じくらい長い時間を、そういう思いとともに生きてきて、書く人になることができた。そして九〇年以降、書く人として存分に生きた。見事に完成したエッセイによって、自分がたどってきた時間をあらためて生き直すことができた。
残っているのは、信仰の問題を自分の文学として表現することだった。須賀敦子はどうしても登らなければいけない次のステップとしてそう考えたに違いない。それが「アルザスの曲がりくねった道」を書こうとしたときの姿勢だった。その姿勢のなかで、作品は自然に「小説」にすることが構想された。(p.209)
これが本書の結論ということになるだろうか。
コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

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ミラノ霧の風景 (白水Uブックス)

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ヴェネツィアの宿 (文春文庫)

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ユルスナールの靴 (河出文庫)

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トリエステの坂道 (新潮文庫)

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須賀敦子については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050522 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070720/1184897369 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080111/1199984086 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080506/1210014939 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100104/1262578368 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100105/1262658522 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100215/1266172377 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120401/1333300002 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120414/1334345971 で言及している。