David W. Plath

William W. Kelly*1 “David William Plath (1930-2022)” https://www.asianstudies.org/david-william-plath-1930-2022/
Christine Yano*2 “In Memoriam of David Plath (1930-2022)” https://seaa.americananthro.org/2022/11/in-memoriam-of-david-plath-1930-2022/


文化人類学者で日本社会研究者だったデヴィッド・プラース氏が昨年11月に他界していた。享年92歳。
プラース氏の業績でよく知られているのは1970年代に行なわれた日本人のライフ・コース(人生行路)や「成熟」の研究だろう。しかし、上掲の記事を読んで、プラース氏の日本社会への知的関心と研究が非常に多岐に亙っていることに気づいた。1960年代末から1970年代初頭にかけての日本のコミューン運動の研究、また1980年代における三重県鳥羽の海女の研究。さらには1990年代以降の映像人類学の実践など。
拙blogでは、過去に安藤究氏の「成熟の社会的文脈と「大衆長寿社会」 年をとれば成熟するのだろうか」(in 『ソシオロジカル・クエスト』、pp.160-176)への言及という仕方で、一度だけプラース氏に触れていたのだった*3。安藤氏曰く、


プラースの視角の特徴は、成熟とは個人の営みのみでえられるのではなく、関係の深い他者たちとの長期にわたる共同製作の産物とする点にある。この関係の深い他者たちは「道づれ(convoy)」と呼ばれ、ある一定期間、ある程度の親しさをもって個人が関係をとり結ぶ人びとを指す。家族であったり友人であったり、具体的にどのようなカテゴリーの人びとであるかは、場合によって異なる。この「道づれ」たちとの長いかかわりあい(long engagement)のなかで、お互いの状況を確認したり互いに説得しあったりする過程のなかから、中核的な自己イメージ(個人のさまざまなアイデンティティを束ねてばらばらにならないようにする役目を果たすもの)が形成され変化していくということであり、この中核的な自己イメージ=持続する自己イメージ(perduring self-image)の形成・変成過程が「成熟」の過程と捉えられている。「道づれ」たちとの成熟の共同製作を、プラースは談話(ディスコース:discourse)としての成熟という概念で捉えているが、分析的には「確認(identification)」、「正当化(justification)」、「投企(projection)」という3つの作用がそこに働いているということである。(後略)(pp.163-164)