本丸ではないけれど

ろだん*1靖国英霊と我々はテレパシーで繋がっている(武田邦彦|別冊正論33『靖國神社創立150年:英霊と天皇御親拝』「靖國に英霊はおられるか―の科学的結論」2018)」https://rondan.net/8989


武田邦彦*2というのがサイエンティストとしての知的資質に問題があるあるだけでなく、或る種の妄想的極右思想の持ち主だということは以前から知ってはいた。ろだん氏が紹介する上掲のテクストも、(多くの人にとって)そうした印象を強化するものだと言えそうである*3
まあ、これはまだ武田的トンデモの本丸ではないのだけれど、ちょっと気になった一節。武田曰く、「天皇と国民の身分の差、遺伝子の差はあまりにも広いために、天皇家と国民という二階級しか形成されず、支配的地位に就いた国民もその時々の臨時なものであり、いつでも交代するという下克上もあり得る社会を作り出した」。これに対して、ろだん氏は「遺伝子の差を要因に階級を論じるという、人種差別そのものの発言」と評している。仏蘭西語でraceというのはそもそも「人種」ではなく「階級」を意味していたというのはミシェル・フーコーの読者なら周知のことなのだけど、今問題にしたいのはこうしたことではない。実は、(私を含めた)少なからぬ日本人は天皇と自分の「差」が「あまりにも広い」とは(伝統的にも)考えてこなかったといえる。正確に日本人のうちの何パーセントが信じているのかはわからないけれど、自分が源氏若しくは平家の子孫だと信じているというのは、日本人の中で決して少数派であるとは言えないと思う。源氏や平家の子孫というのは天皇の子孫だということだ。武田を含む極右系の人たちは神武天皇の「Y遺伝子」というのに後生大事に拘っているけれど、実は(神武天皇の「Y遺伝子」が実在しているとしても)そんなのは広く民間に拡散しているわけだ。武田邦彦だって、もし彼が甲斐源氏の「武田」であれば、神武天皇の「Y遺伝子」を共有している。だからといって、武田の「男性としてのご性質・人格」が今上天皇と「全く同じである」わけはないのだが。
さて、問題は下の人間だけではない。天皇を含む上層部も、みんな天皇とそう違った存在ではないよと主張していた、少なくともそう信じさせようとしていた節があるのだ。日本の神話では、対立(敵対)する異族との関係をきょうだい喧嘩として説明する傾向があると言えるだろう。例えば、大和と出雲は姉(アマテラス)と追放された弟(スサノオ)の関係として叙述される。また、大和と隼人の関係は、弟(山幸彦)と弟に騙されて敗れた兄(海幸彦)の関係として叙述されるのだった。北方の蝦夷との間にこうしたきょうだい関係が設定されなかったのは、朝廷と蝦夷との対決がクライマックスを迎えたのが、既に『古事記』も『日本書紀』も完成した後の、平安時代だったからだろうか。