匂いそれ自体は存在しない

「よく分からないことが周りで起きている」https://anond.hatelabo.jp/20180924111759


「会社で臭いと言われるのだがどうしていいかわからない」*1にインスパイアされた増田。「どうしていいかわからない」増田について、ノンフィクションなのかフィクションなのか判断がつきかねているのだけど、こっちの「よく分からないこと」増田を読んで、もうちょっと深刻な匂いを嗅いでしまった。要するに精神病理的な匂い。これをフィクション/ノンフィクションの二項対立で理解するのはちょっと難しいんじゃないか。
最初に言っておけば、多分増田は「統合失調症」ではないと思った。例えば、


部屋に盗聴器が仕掛けられている!


という主張は、ちょっと神経質かなと思うかもしれないが、その可能性があることは一般常識(common sense)に照らしても理解可能だろう。しかし、


脳に盗聴器が仕掛けられている!


とか


心の中に盗聴器が仕掛けられている!


という主張になると、常識の理解能力を超えてしまう。自己の内面性という閉域が侵入されることはかなり理解し難いからだ。所謂「思考盗聴」*2の被害を訴える人たちはそうなのだけど、統合失調症では、自己の内面性という閉域が易々と外部によって侵入され・露呈されてしまっていると妄想的に観念されることになる。しかし、増田の言葉を読む限り、内面性が抉じ開けられて外部に露呈しているということはない。精神病(psychosis)ではなく神経症(neurosis)。
対人恐怖症の一環として、自分が悪臭を放っているが故に他人から嫌われているという妄想はけっこうあるということを聞いたことがあるけれど、その病名は何ていうんだっけ? 「自己臭症」というのか*3。そのまんまじゃん。
ところで、「どうしていいかわからない」増田を含めて、解せないのは唯々「臭い」というだけで、具体的にどんな臭いなのかというのがわからないということ。考えてみれば、この世に臭い(或いは匂い、或いは香り)一般というのは存在しない。存在するのは、独特の類型性や個性をもった具体的な臭い(或いは匂い、或いは香り)だけだ。一日履き通した靴下の臭いとかシャワーを浴びていない萬古の匂いとかそれを充たす精液の匂いとか。
さて、増田はPATMという概念を持ち出している*4。もしかして、〈妄想〉を正当化するための根拠として使用されているのではないかとも思うのだけど、それはともかくとして、このPATMで問題となる感覚は嗅覚だけではないようだ。興味深いのは、PATMでは「トルエン」の放出が認められるということ。「トルエン」の匂いというのは異臭或いは悪臭には違いないけれど、独特な匂いだ(というか、上で述べたように、全ての臭い(或いは匂い、或いは香り)は独特な臭い(或いは匂い、或いは香り)なのだけど)。増田の身体から「トルエン」が放出されているとすると、会社にいる元ヤンキーが増田の周りに寄ってきて、みんなラリっちゃうんじゃないのか。思い出したのだけど、私が大学の卒論を書いていた頃、まだ手書きの時代だったので、ペンで書いた字を消すのにリキッド・ペーパーを使っていた。リキッド・ペーパーには有機溶剤が使われている。鼻に近い場所で使うとけっこう頭がくらくらしてくる。そのことを知人のアンパンマンもといガールに話したら、それって最高じゃない? と言われたのだった。


会社以外は外に出られなくなった。会社にすら行けなくなったらもうおしまいだと思っている。

休みの日は家にこもり、人混みをさけ、会社に行くときも交通機関を使うのをやめた。

もうこれからは人のいない田舎に住もうかと思っている。

こんな状況じゃ何もすることができない。

何か新しいことを始めたいと思ってもすべて足かせになる。

率直に言えば、(内科じゃなくて)精神科の先生に相談すべきだと思う。健康保険を使えば、占い師に相談するよりも安いのだから。
それはともかくとして、これを読んで、化学的コミュニケーション(chemical communication)の重要性に改めて気づいた。また、「よく分からないこと」増田のお悩み或いは「自己臭症」というのは、鷲田清一先生が常々問うている、自分というのは自分の思い通りにはならないものだという問題(Eg.『じぶん・この不思議な存在』)*5のひとつのヴァリエーションなのではないかと思った。
じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書)

*1:https://anond.hatelabo.jp/20180918135609 Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180920/1537404582

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170815/1502814821 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171009/1507517956

*3:See eg. 林公一「実際におならが出ていても自己臭症ですか」http://kokoro.squares.net/psyqa0498.html

*4:「自分のせいで他の人がアレルギー?」http://www.ntv.co.jp/gyoten/backnumber/article/20180306_03.html 川上裕司、関根嘉香、木村桂大、戸高惣史、小田尚幸「皮膚ガス測定および鼻腔内微生物検査に基づくPATMに関する考察」https://www.jstage.jst.go.jp/article/siej/21/1/21_19/_article/-char/ja

*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130630/1372528653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160722/1469159771