唐突に「崔承喜」

思い出トランプ (新潮文庫)

思い出トランプ (新潮文庫)

向田邦子の「だらだら坂」は『思い出トランプ』*1所収の短篇の中でもちょっと異色ではある。妾*2を囲う中年男の話であるという点で。
ところで、主人公の「庄治」は「死んだ父親」を思い出しつつ唐突に「崔承喜」という朝鮮人舞踊家を想起する;


(前略)店の奥に小さな鏡があって、待っている庄治の顔がうつっている。
死んだ父親にそっくりである。
(略)
あれは庄治が小学校五年生のときだった。
叩き大工をしていた父親に連れられて、 崔承喜*3という朝鮮の舞姫の踊りを見にいったことがあった。
どうして、父がそんな切符を持っていたのか、誰かに貰ったのか、そんなことより覚えているのは、末の妹をみごもっておながか大きかった母親が、キャラメルを買って、学生服のポケットに入れてくれたことである。大きな朝鮮の太鼓を叩きながら舞台いっぱいに踊る崔承喜の姿である。
見馴れない色の民族衣裳をひるがえし、白い大柄な肌が汗で光っていた。自ら打つ太鼓のリズムは狂ったように激しくなり、狂ったように踊る人は、庄治の目には何もまとっていないいように見えた。踊り終って、ガックリと打ち伏すように倒れると、満員の公会堂が震えるような拍手が起った。
庄治は、隣の父親が誰よりも激しく手を叩いているのにびっくりした。日頃は気性の強い母親に言い負かされ、道楽といえば縁台将棋の父親である。体を前に乗り出し、口を半分あけて手を叩き続ける父の横顔は、始めて見る男の顔であった。このことは母親には言わないほうがいい。子供心にもそのくらいの見当はついた。
鏡にうつっているのは、十日振りに、娘ほど年の違う女に逢いにゆく顔である。それはあのときの父の顔である。崔承喜も、ずどんとした白い大きな体をしていたような気がする。
(pp.34-35)
崔承喜については、例えば、


Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%89%BF%E5%96%9C
在日韓人歴史資料館「崔承喜と孫基禎http://www.j-koreans.org/exhibit/exhibit_20.html
喜多由浩「「北」に粛清された「半島の舞姫・崔承喜」」http://www.sankei.com/premium/news/141020/prm1410200003-n1.html http://www.sankei.com/premium/news/141020/prm1410200003-n2.html



トミ子は北海道積丹半島の生れである。
重い口がほぐれ、ぽつんぽつんと生いたちをしゃべるようになったのは、随分あとのことだが、肉といえば馬肉のことで、子供の時分、牛肉はあまり食べたことがなかったという。
どういうわけかトミ子の村だけが、食品を包むラップフィルムの普及から取り残されてしまった。葬式のため東京の出稼ぎから帰った男たちが、煮しめを冷蔵庫に仕舞うとき、ああいう便利なものがどうしてここには無いのか、と言い出し説明するのだが、一同見たこともないので、さっぱり見当がつかなかった、というはなしに笑ったりした。(pp.30-31)
現在なら炎上しそうなパラグラフ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120411/1334103652 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170220/1487561367

*2:愛人ではなく、やはり妾。

*3:「さいしょうき」というルビ。