白元淡

 張碩果「“韓流”很大程度上是“美国化”」『外灘画報』2007年7月12日号、C9


韓国の中国文学者である白元淡さんへのインタヴュー。
彼女の父親は韓国の労働運動の著名な指導者で、第二次大戦後、北(原文では「朝鮮」)から南(原文では「韓国」)に移住してきた。彼女は子どもの頃から魯迅を含む中国や日本の本を父から与えられていたという。彼女は大学と修士課程で中国文学、魯迅を専攻した。軍事政権下の韓国では、魯迅の小説を研究することはできたが、(特に1927年以後の)「雑文」を研究することはできなかったという――「我是韓国第一個研究魯迅1927年以後雑文的人」。修士課程を修了すると、彼女は小さな出版社を開業し、「為学生運動、工人運動等民主運動提供思想指導的書籍」を刊行した。それだけでなく、夜になると工場へ行って労働し、「工廠輿工人的状況」の理解に努め、「大量配合工人運動的戦闘性的文章」を書いた。そうした中で、毛沢東の所謂『文藝講話』を韓国で初めて翻訳したが、これを掲載した『世界文学』雑誌は発禁処分を食らってしまった。さらに、1986年1月に或る工場で争議を組織したために、指名手配を受け、「隠姓埋名三年了」という生活を送る。1988年に指名手配が「解除」され、「韓国全国工会協会」の「組織部長」、さらに「聯絡部長」に就任する。1989年5月に結婚し、労働運動を続けながら出産するが、1993年に延世大学の博士課程に入学する。その「主要的原因」は「工会組織内部発生了分化、這譲我很失望、所以、也想停下来好好想想、尋找新的出路」ということだったという。1994年には中国へ留学している。
現在の関心について;


最近、我最関心的問題是冷戦後亜州分化的後冷戦化、也就是冷戦思惟在亜州没有結束、亜州空間裏的地域主義、民族主義力量強大、缺乏文化上的交流。所以、我在積極倡導“東亜共同体”、宣伝亜州主義。
また、

目前、我最感興趣的是研究冷戦和冷戦前的亜州歴史。一方面、了解冷戦結構的形成過程。一方面、在冷戦期間中尋求可能性。我発現、無論是冷戦期間還是冷戦前的歴史都並非如我men想象的那様鉄板一塊。今天的冷戦前和冷戦史本身就是冷戦思惟的産物。因此、我men必須重新叙述出一個亜州近現代歴史、一個非美国、非日本化的亜州歴史。
所謂「韓流」について;

最近幾年、東亜地区吹起了一股“韓流”、我很関注這一状況、希望従中尋找文化交流的可能性;但是、我在研究“韓流”的過程中発現、“韓流”看起来是韓国的、而実際上相当程度是“美国化”的、裏面包含着冷戦化的美国文化。中国人喜歓“韓流”也不是真正喜歓韓国文化、而是通過“韓流”了解、接受美国文化。
「流行文化」、「消費文化」、「大衆文化」について、スチュアート・ホールに言及しつつ、

今天、我men都清楚地認識到、資本的力量是無法全面拒絶的。我men只能進入資本動作的内部、利用各種矛盾、契機和可能性、建立我men自己的文化経済学、尋求真正的文化交流。
最後は、香港での〈反WTO運動〉の話で締め括っている;

最近、韓国農民在香港反対“WTO”的運動就給我men很多啓示。在這一運動中、香港的NGO団体、工人和移民打破了民族的界限、団結一致、創造了新的闘争文化。這是従民衆、従日常生活中産生的民衆為主体的文化。
白先生は「2007亜州文化研究上海検討会」*1のために上海に来ていたのだが、私の机に白先生の名刺がある。つまり、お会いしていたのだが、この記事を読むまで、それはずっと失念していたのだった。